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宇野昌磨「五輪に特別な思いは持っていない」20歳で挑んだ初の大舞台で見せた冷静さと自然体な笑顔

  • 折山淑美●取材・文 text by Oriyama Toshimi

連載・日本人フィギュアスケーターの軌跡
第10回 宇野昌磨 中編(全3回)

 2026年2月のミラノ・コルティナ五輪を前に、21世紀の五輪(2002年ソルトレイクシティ大会〜2022年北京大会)に出場した日本人フィギュアスケーターの活躍や苦悩を振り返る本連載。

 第10回は、2018年平昌五輪、2022年北京五輪に出場し、団体戦を含めて日本フィギュア界最多となる3つのメダルを獲得した宇野昌磨の軌跡を振り返る。中編は、初の五輪で銀メダルを獲得した平昌大会をはじめ世界の大舞台での戦いをプレイバック。

初の五輪となる2018年平昌大会で銀メダルを獲得した宇野昌磨 photo by Kyodo News初の五輪となる2018年平昌大会で銀メダルを獲得した宇野昌磨 photo by Kyodo Newsこの記事に関連する写真を見る

【五輪に「ひとつの試合という感覚」】

 2018年1月の四大陸選手権で練習の成果が出せたことに納得の表情を見せていた宇野昌磨。その手ごたえは初挑戦だった2月の平昌五輪にもつながった。羽生結弦は右足首のケガの回復が遅れ、個人戦前の現地入りになるなか、宇野は初の大舞台にも「特別な感情はわいてこなかったし緊張もしなかった」と冷静に話していた。

 競技初日の団体戦ショートプログラム(SP)で宇野は、最初の4回転フリップこそオーバーターンの着氷になったが、その後の要素は完璧にこなして103.25点。ネイサン・チェン(アメリカ)やパトリック・チャン(カナダ)を抑えて1位と、日本チームに貢献した。

 個人戦男子シングルのSPは、羽生が111.18点の高得点を出したあとの演技だった。宇野は最初の4回転フリップを着氷すると、着実にこなすノーミスの演技。「練習でできていたもののほうがよかったので完璧な演技ではなかったですが、これだけの演技ができたことには満足しています」と、104.17点を獲得。羽生とハビエル・フェルナンデス(スペイン)に次ぐ3位につけた。

 翌日のフリーは最終滑走だった。ケガを抱えての出場だった羽生がわずかなミスに抑えて合計317.85点とし、フェルナンデスもミスは後半の4回転サルコウのパンクだけに抑えて305.24点にしてきた。

 その演技をすべて見て、「自分がどんな演技をしてどんな点数を出せばどんな順位になるかをずっと計算していた」と言う宇野。

「点数的に考えて、僕がもしノーミスで完璧な演技をしたら1位になる可能性があったけど、ループを失敗した時点で笑ってしまいました」

 そう話すように、冒頭の4回転ループで転倒。そのあとの4回転フリップは成功させると丁寧な滑りに徹し、後半の4回転トーループ+2回転トーループはわずかに減点されるジャンプになったが、きっちり演じきった。

「滑り出しから全然よくなかったのでどうなるかなと思ったけれど、悪いなかでもワンミス以内に抑えることができた」

 宇野の得点は202.73点で合計306.90点。羽生に次ぐ銀メダル獲得。それでも、宇野は最後まで冷静だった。

「樋口美穂子先生がこれまでで一番喜んでいたのでうれしかったですが、僕は五輪に対してあまり特別な思いも持っていなかったです。五輪を目指してやってきてはいなかったので、最後までひとつの試合という感覚しかありませんでした」

 そして、これまで大きな試合で2位が続いていたことに対しても、反省の弁を口にした。

「コンスタントに大崩れすることもなく、爆発的にいい演技をすることもなく、2位を守り続けていると思います。今回のコンディションのなかではいい演技ができたと思うけれど、羽生選手やハビエル選手を見て、僕に足りないのはジャンプをただ跳ぶだけではなく、加点がつくジャンプを跳ぶことだと思うのでもっと頑張りたいです」

 初の大舞台にも気負うことなく、平常心で臨む心の強さがもたらした銀メダル。五輪連覇を果たした羽生の感動とともに、20歳の宇野が見せた自然体の笑顔は印象的だった。

 その1カ月後の世界選手権は、五輪後に替えた靴が合わず右足甲を痛めていて、競技前日の公式練習は5分のみでリンクを上がり、病院で診察を受けるほどだったが、骨折ではないことを確認して強行出場。SP5位発進からフリーで執念の演技を見せ、4回転4種類6本を着氷して2位になったが合計は273.77点と伸びなかった。それでも、5位の友野一希とともに来季の出場3枠獲得に貢献した。

 フリー後に宇野は涙を流したが、「あれは汗です」と言って苦笑。そして、心のうちをこう明かした。

「練習量も多く、かなり詰めてやったのに、結果への悔しさはありました。あらためて(ケガで欠場した)羽生選手の存在の大きさを知りました。僕がもっとうまくなって精神的にも羽生選手くらい強くなって......。引っ張っていくというのは得意ではないけれど、お手本になれるような選手になりたいと思いました」

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著者プロフィール

  • 折山淑美

    折山淑美 (おりやま・としみ)

    スポーツジャーナリスト。1953年、長野県生まれ。1992年のバルセロナ大会から五輪取材を始め、夏季・冬季ともに多数の大会をリポートしている。フィギュアスケート取材は1994年リレハンメル五輪からスタートし、2010年代はシニアデビュー後の羽生結弦の歩みを丹念に追う。

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