宇野昌磨「五輪に特別な思いは持っていない」20歳で挑んだ初の大舞台で見せた冷静さと自然体な笑顔 (2ページ目)
【もがいてもがいて......】
フリーの演技時間が30秒短くなり、ジャンプも8本から7本になってジャッジシステムが変わった2018−2019シーズン。シーズン前半は270点台中盤から後半の得点を出し、ロンバルディア杯とGPシリーズ2試合を優勝。GPファイナルもチェンに次ぐ2位と安定した結果を残した。
GPシリーズ2勝の羽生がケガで欠場したGPファイナル。宇野はSPでミスも出たが、チェンに僅差で射程圏内に捉えていた。フリーではチェンが先に滑ってミスを出し、合計282.42点にとどまった。しかし、宇野は冒頭の4回転サルコウがダウングレード、次の4回転フリップが回転不足のスタート。そこからは粘りを見せたが、終盤にも細かいミスが出て追い上げはならず、275.10点の2位に終わった。
その結果について宇野は「全然満足できない演技でしたが、それ以上に『申し訳ない』という思いがあります」と話した。
「昨年(2017年)のGPファイナルも地元名古屋での開催で、期待された試合だったと思いますが、今回も結果を求められた試合だったと思います。それは僕のなかでも自覚していて期待に応えられたらという思いはありましたが、このような演技で応えられなかった。昨年は試合を楽しみたいと言っていた気がしますが、いずれは楽しめない時が来るし、楽しんでばかりではいられなくなる。
まだその年齢ではないかもしれないけれど、いつかその時が来ると気づいた。プレッシャーがかかったなかでもいい演技をすることを羽生選手は毎回やっていて、すばらしい結果を残している。僕もそうならなければいけないと思ったので、自分で自分にプレッシャーをかけるようにしています」
そんな意識の変化を口にした宇野。その2週後の全日本選手権では、SP当日の公式練習前のウォーミングアップで右足首をねんざしたが、強行出場して102.06点で首位発進。その後、重度のねんざだと判明し当初は歩くことも難しかったというが、「無理して(出場して治るまでに1週間長引いても、選手生命に関わることではないと判断した」とフリーにも出場し、羽生不在の穴を埋める3連覇を達成した。
「苦しいなかで、もがいてもがいて成し遂げたものは淡々とできたものよりうれしいと思うから、僕はどんな状態でも試合に出たいと思ってしまうのかもしれません」と宇野は話し、明るい表情を見せた。
さらに練習中のねんざもあって調整がうまくいかなかった2019年2月の四大陸選手権も、SP4位発進ながらフリーでは新ルールの当時の世界最高得点となる197.36点を出して優勝。「勝ちたい」という気持ちを前面に出して乗りきった。
3月の世界選手権は4位で、3年連続表彰台を逃す悔しい結果になったが、シーズン最終戦の世界国別対抗戦ではトリプルアクセル+4回転トーループに挑戦と、新たな意欲を見せた。そして、「世界選手権の悔しさを強く心に刻んで、ここからスタートしていきたい」という決意を口にした。宇野はこのシーズンをこう振り返った。
「アスリートでなければいけないと思い、練習はつらいけどそれを乗り越えた先にいい演技が待っているという気持ちでずっと練習をしていました。いい演技は待っていなかったのがつらかったけど、頑張るしかない。やらなければ絶対に今より悪い演技になるから、練習を続けなければいけないと思いました」
【プロフィール】
宇野昌磨 うの・しょうま/1997年12月17日、愛知県生まれ。全日本選手権優勝6度、世界選手権連覇、2018年平昌五輪銀メダル、2022年北京五輪銅メダルなど華々しい成績を残す。2024年に現役引退し、現在はアイスショー出演などプロスケーターとして活躍している。2025年からは自身が企画・プロデュースしたアイスショー『Ice Brave』および『Ice Brave 2』を開催。
著者プロフィール
折山淑美 (おりやま・としみ)
スポーツジャーナリスト。1953年、長野県生まれ。1992年のバルセロナ大会から五輪取材を始め、夏季・冬季ともに多数の大会をリポートしている。フィギュアスケート取材は1994年リレハンメル五輪からスタートし、2010年代はシニアデビュー後の羽生結弦の歩みを丹念に追う。
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