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順大で箱根出場は一度だけ「初マラソン日本記録」を持つ近藤亮太は"雑草魂"で世界陸上の日本代表になり、ロス五輪も目指す

  • 佐藤俊●取材・文 text by Shun Sato

【不定期連載】箱根からロス五輪へ~MGCに挑むランナーの肖像~

第1回 近藤亮太(三菱重工)後編

昨夏の東京での世界陸上では40km付近まで先頭集団に食らいついた photo by Aflo昨夏の東京での世界陸上では40km付近まで先頭集団に食らいついた photo by Aflo

 箱根駅伝を走ったという事実は同じでも、その物語は一人ひとりまったく違う。区間賞を重ねたスターもいれば、たった一度の出走で思うような成績を残せなかった選手もいる。本連載では、2028年ロサンゼルス五輪代表の座を争うMGC(マラソングランドチャンピオンシップ)出場権獲得ランナーたちに、箱根を走った学生時代の記憶、そして、世界を見据えて42.195kmに挑む現在地を聞く。

 第1回は、近藤亮太選手(三菱重工・26歳)。苦しい時間の長かった順天堂大時代を振り返った前編に続き、後編では実業団で大きく力を伸ばせた理由、そしてMGC、ロス五輪への思いを聞いた。

前編を読む>>>「陸上は高校まででやめるつもりだった」近藤亮太が、順大4年時に箱根駅伝にたどり着けた理由

【三菱重工マラソン部以外は考えられなかった】

「三菱重工マラソン部に行きたいです」

 順天堂大に入学し、順調に練習ができていた近藤亮太は、長門俊介監督に「行きたいチームがあるのか?」と聞かれた際、迷わずそう答えた。

2018年に井上(大仁)さんがアジア大会(ジャカルタ)で金メダルを獲って、ニューイヤー駅伝(全日本実業団対抗駅伝)も2019年に2位になり、駅伝も強かったんです。地元の長崎県にこんなに強いチームがあるならと思い、監督に希望を伝えていました。大学3年の冬には、合宿に参加させてもらってマラソンの練習を見ました。考えや練習も自分にマッチしていたので、もう三菱重工以外は考えられなかったです」

 2022年に入社してからは、すぐにマラソン練習に取り組むつもりだった。だが、三菱重工にはチームとしてのマラソン選手育成メソッドがある。「陸上競技部」ではなく「マラソン部」の看板を掲げており、マラソンを走りたいなら、まずその前にマラソンで好走する可能性を示す必要があった。

「黒木(純)総監督(当時は監督)からは『ハーフマラソンで1時間0130秒を出したら、マラソンを目指そうか』と言われていました。その時に『10000m28分フラット(2800秒)までいけるぞ』とも言われ、それが自分のなかでは励みになり、しっかりと練習を積むことができました」

 1年目の冬には、マラソンに出場する他の選手たちと一緒に海外合宿をこなし、全日本実業団ハーフマラソンで1時間0032秒の好タイムをマークした。そこから本格的にマラソンを目指していくことになるのだが、そもそも、近藤はなぜマラソンを走りたいと思ったのだろうか。

「大学の時、年に2回は40㎞走をしますし、30㎞走は何度もやるんですけど、自分は(他の選手よりも)全然疲れを感じない。長い距離が得意なので、将来活躍できるところはマラソンだなと謎の自信を持っていたんです。三菱重工に入ってからも、練習が自分にすごく合っていたので、それが確信に変わったという感じでした」

 長い距離への適性だけではなく、性格もマラソン向きだった。

「自分で言うのもあれですけど、性格は真面目です(笑)。周囲に協調することができますし、自分のできる範囲のことをコツコツとやっていくのが得意です。一方で、自分の我を出していくのが苦手で、それで大学時代は苦労したところがあったのですが、入社してからは比較対象が他人ではなく、自分になったので気がラクですね」

 チームには、井上以外にも2023年世界陸上ブタペスト大会のマラソンに出場した山下一貴らがおり、マラソンで結果を出してきた先輩たちの経験を聞き、自分の競技力向上に生かしてきた。そうして積み重ねてきた努力が、初マラソンの舞台で大きな花を咲かせることになる。

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著者プロフィール

  • 佐藤俊

    佐藤俊 (さとう・しゅん)

    1963年北海道生まれ。青山学院大学経営学部卒業後、出版社を経て1993年にフリーランスに転向。現在は陸上(駅伝)、サッカー、卓球などさまざまなスポーツや、伝統芸能など幅広い分野を取材し、雑誌、WEB、新聞などに寄稿している。「宮本恒靖 学ぶ人」(文藝春秋)、「箱根0区を駆ける者たち」(幻冬舎)、「箱根奪取」(集英社)、「箱根5区」(徳間書店)など著書多数。近著に「箱根2区」(徳間書店)。

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