順大で箱根出場は一度だけ「初マラソン日本記録」を持つ近藤亮太は"雑草魂"で世界陸上の日本代表になり、ロス五輪も目指す (2ページ目)
【初マラソン日本最高記録と世界陸上】
2025年2月、大阪マラソン。近藤は2時間05分39秒で日本人トップ(全体2位)、初マラソン日本最高記録を打ち立てたのである。
「この時は、ゴールした瞬間にいろいろな思いが頭を巡りました。ラストスパートで外国人選手に競り負けた悔しさがあったんですけど、そこからフィニッシュラインを越えるまでの2秒の間にタイムが見えて、(チームの先輩の)山下さんの記録を抜いたうれしさがこみ上げてきたり、まさかこんなタイムを出せるとはという驚きがあったり......。そもそも、世界陸上の代表選考レースだということを知らずに走っていたんです(苦笑)」
ノーマークの存在から、一躍、世界陸上東京大会の代表候補となったが、大阪マラソンの前、近藤は山下と一緒に海外合宿を行なっていた。最初は、山下から「(2時間)08分を切ったら100点だな」と言われていたが、合宿が進むうちに、近藤の調子の良さを感じ取った山下から「06分台で100点」と高い目標を設定されていた。
「山下さんはニコニコしながら言うので、僕は『100点のレベルを上げすぎでしょ』と言っていました(笑)。でも、想像以上のタイムが出て、黒木総監督の練習メニューは間違いないなと思いました。もちろん、山下さんにも大感謝でした」
山下は2歳上だが、穏やかな性格など自身と似ているところがある。また、ふだんの練習メニューもほぼ同じ。世界陸上に向けての海外合宿でも、山下が練習パートナーを務めた。
「山下さんとは、長期間の合宿中でも仲よく過ごせます。レース前の合宿では、いつも『ちゃんと練習すれば走れるよ』と言ってくれます。たぶん最近は、自分の妻よりも一緒にいる時間が長いですね(笑)」
世界陸上のマラソンは、当然、近藤にとっては初めての世界の舞台。それでも、35㎞を過ぎても先頭集団につき、小さなトラブルを乗り越えながら上位をうかがっていた。
「暑いので、氷が入った帽子を5㎞ごとに交換してかぶっていたんです。でも、帽子を取ろうとして給水ボトルを落としたり、他の選手と接触して給水ボトルが飛んでいったり、給水が半分ぐらいしか取れていなかったんです。それで苦しくなってきて、最後は帽子か給水かの選択になって、それなら水だと思い、帽子をあきらめました。幸い、日差しもそんなになかったので、もういいやって感じでした。
40㎞の給水では、帽子とサングラスを(給水サポート役を務めていた女子マラソン代表の)安藤友香さん(しまむら)に渡して勝負にいきました」
近藤は、止まりそうになる足を必死に動かして8位入賞を目指した。だが、最終的に11位に終わった。
このレースで、近藤は今につながる3つの大きな経験を得た。
「世界陸上という大きな舞台を前に、3、4カ月間のマラソン練習を大きなトラブルもなく、順調に積めたんです。そうしてスタートラインに自信を持って立てたのは、すごく貴重な経験でした。
また、実際のレースでは、海外の選手は1㎞ごとというよりも、100m、200mごとにペースを上げ下げしているんです。これは一緒に走らないとわからないことでした。
それに加えて、海外の選手はタフで強い。37㎞の給水地点から、みんなダッシュするみたいにペースアップして、正直、『ついていく足は残っていないよ』と思ってしまいました。35㎞以降にしっかりと上げられる力をつけないとメダルには届かない、世界とは戦えないんだなということがわかったのも大きかったです」
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