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【プロレス】アントニオ猪木の失神KO負けに、藤原喜明は「あぁ、芝居してるな」 その後のクーデター事件も振り返った (4ページ目)

  • 松岡健治●文 text by Matsuoka Kenji

 藤原がクーデターを知ったのは、猪木からの言葉がきっかけだったという。

 ホーガンに失神KO負けを喫した猪木は、8月28 日の田園コロシアムで、ラッシャー木村との復帰戦が決まっていた。猪木はその2日前、埼玉・大宮スケートセンターでの大会に、テレビ中継のゲスト解説で呼ばれていた。

「その大宮での大会、猪木さんは会場に来るのが遅かったんだよ。それで控室に入ってきた時に、俺が『お疲れさまです』っていつものように挨拶したら『お前もか!』っていきなり言われてな。俺が『えっ?』って戸惑ったら『とぼけるな!』って。なんでそんなことを言われるんだって思ったけど、猪木さんは俺のこともクーデターを企てた連中の仲間だと思ってたらしいよ」

 付き人として忠誠を誓ってきた猪木から、信じてもらえていなかった事実。一方で、クーデターを企てた一派からは蚊帳の外だったことに、藤原は複雑だった。

「クーデターを仕掛けたヤツらは、俺が猪木さんの付き人だから、ひと言も言わなかったんだな。逆に猪木さんからは疑われて、その時に思ったよ。『俺は新日本プロレスに必要な人間じゃないんだ』ってな」

 40年あまりを経て、クーデター事件をあらためてこう振り返る。

「新日本は猪木さんが作った会社だ。その社長に不満があったら、辞めりゃいいんだよ。それだけの話だよ。それを、社長を追い出して乗っ取ろうなんて、恥ずかしいことだよ」

 その翌1984年2月、藤原が事件を起こす。デビュー12年目、雪の札幌でのことだった。

(敬称略)

■連載12:長州力を襲撃した"雪の札幌事件"の真相 「『行け』って言われてやっただけの話」>>

【プロフィール】

藤原喜明(ふじわら・よしあき)

1949年4月27日生まれ、岩手県出身。1972年11月2日に23歳で新日本プロレスに入門し、その10日後に藤波辰巳戦でデビュー。カール・ゴッチに師事し、サブミッションレスリングに傾倒したことから「関節技の鬼」として知られる。1991年には藤原組を旗揚げ。現在も現役レスラーとして活躍するほか、俳優やナレーター、声優などでも活動している。陶芸、盆栽、イラストなど特技も多彩。

【写真】ケンコバのプロレス連載 試合フォトギャラリー

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