【プロレス】アントニオ猪木の失神KO負けに、藤原喜明は「あぁ、芝居してるな」 その後のクーデター事件も振り返った (3ページ目)
さらに1983年8月10日、新日本に激震が走る。タイガーマスクが引退したのだ。
8月4日の蔵前国技館大会で寺西勇とのNWA世界ジュニアヘビー級戦で、防衛を果たした直後の電撃引退。藤原にとってタイガーマスクの佐山は、入門時からスパーリングを行なってきた後輩だったが、その引退についてこう振り返った。
「相談なんかねぇよ。彼の人生は彼が決めることだからな。いいか? プロレスラーってのは、団体に所属はしているけど実質は個人事業主なんだよ。だからな、ハッキリ言えば、ひとりが辞めればチャンスが増えるんだ。それだけの話だよ」
ただ、タイガーマスクの試合には、藤原も一目置いていたという。
「アイツの試合は『天才だ』と思ったよ。なんであれだけのすごい動きができたかというと、基礎がしっかりしているからなんだよ。つまり、本物は美しいってこと。日本には相撲、空手、合気道とかがあるから、見る人はみんな目が肥えてるんだ。芝居でやったってウソだってバレるんだよ。でも、タイガーマスクは本物だったから、あれだけの人気を得たんだな」
【クーデター後、猪木から「お前もか!」】
1983年の混沌はまだ終わらない。その夏、社長の猪木がブラジルで経営するバイオ事業会社「アントン・ハイセル」に対して、新日本の利益が流入している不透明な経費支出疑惑に端を発し、一部の役員やレスラーが決起。8月29日の役員会で猪木は社長を退任し、坂口も副社長を辞め、専務取締役だった新間は退社に追い込まれた。
代わりに代表となったのは、山本小鉄とテレビ朝日から出向していたふたりの役員だった。のちに「クーデター事件」と呼ばれる社内体制の刷新は、これまでさまざまな関係者が証言してきた。猪木を解任するクーデターに向けて、選手や社員は捺印や署名をした「血判状」を用意するなど一致団結していた。
しかし藤原は、署名していなかった。そもそも、水面下で猪木を解任する動きを知らなかったという。
「そんな署名は俺のところには求めてこなかったし、そもそも、クーデターなんてものは知らねぇんだよ。なんでそんなことが起きたのか? 俺みたいな下っ端にはわかるわけがないだろ。首謀者が誰かも知らねぇし、興味もない。そんなもん俺に聞くなよ!」
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