【プロレス】初対面のアントニオ猪木の表情に藤原喜明は「バカにされてるな」 入門からわずか10日後、デビュー戦は突然訪れた (3ページ目)
【初めてリングの上から見た景色】
入門10日でのデビューは、旗揚げ間もない新日本は選手数が少なかったことも影響しているだろう。ただ、当然プロレスの実力がなければ抜擢されるはずもない。それほど藤原は破格の存在だった。
試合用のタイツとリングシューズは、入門前に金子が用意してくれていたため、カバンに入っていた。
「金子さんのジムにリングシューズの業者が出入りしてたから、その時に作ったんだ。靴のサイズは28.5。猪木さんと同じなんだよ。だから、のちに猪木さんから靴をいっぱいもらったな。すべて、メイド・イン・イタリーだよ」
デビュー戦の相手は藤波だった。藤波は、中学を卒業後の1970年6月に日本プロレスに入門。猪木の付き人を務め、師匠が日本プロレスを追放されると行動を共にし、旗揚げから新日本に所属した。年齢は藤原が4歳上だったが、レスラーとしては先輩の藤波の胸を借りることになった。
「試合前は、ただ『やっつければいい』と思っていたよ。ただ、リングに初めて上がったら、やっぱり緊張してな。ライトの光がやたら熱かった。緊張してたから5、6分で息が上がっちまって。あっちはスタミナがあったけど、こっちはスタミナ切れ。何をやったかなんて覚えてねぇよ」
結果は、11分33秒に逆片エビ固めで敗れた。
「すべてが初めてのことばかりだったから、負けても別に何とも思わなかった。そりゃそうだろ? 第一歩を踏み出してばっかりで、負けて悔しいかって話だよ」
旗揚げ1年目は、力道山亡き後の日本プロレスでエースだった豊登が参戦していた。デビュー戦で覚えているのは、豊登の言葉だ。
「試合が終わって控室に戻ったら、豊登さんが『お前、初めてじゃないだろ? 国際(プロレス)かどっかでやっていたんじゃないのか?』って言われてな。俺が『初めてです』と答えたら、『嘘つけ! どこかでやっていただろ?』って繰り返し言われて。そのあとに『いい試合だったぞ』ってほめてくれたんだ。あの言葉はうれしかったな。
猪木さんはどうだったか? なんもなし。反応なしだよ。猪木さんはメインイベンターで社長。デビューしたばかりの若手なんか眼中にねぇよ」
入門からわずか10日後のデビュー戦を終え、藤原のプロレス人生がスタートした。
(敬称略)
(連載4:アントニオ猪木と山本小鉄の素顔 誰からも愛された「前座の力道山」との思い出>>)
【プロフィール】
藤原喜明(ふじわら・よしあき)
1949年4月27日生まれ、岩手県出身。1972年11月2日に23歳で新日本プロレスに入門し、その10日後に藤波辰巳戦でデビュー。カール・ゴッチに師事し、サブミッションレスリングに傾倒したことから「関節技の鬼」として知られる。1991年には藤原組を旗揚げ。現在も現役レスラーとして活躍するほか、俳優やナレーター、声優などでも活動している。陶芸、盆栽、イラストなど特技も多彩。
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