【プロレス】元東スポ記者が語る棚橋弘至と中邑真輔、引退試合の相手オカダ・カズチカとの関係−−3人の物語は「まだまだ続いていく」 (3ページ目)
【棚橋にとって重要だった、中邑とオカダの存在】
――棚橋選手と中邑選手が新日本を牽引していた時期、タイプが違うふたりをどのように見ていましたか?
柴田:新日本が「棚橋弘至」というレスラーを一生懸命作り上げて、あっという間に中邑が追いついてきた。棚橋にとっては、中邑がいてよかったと思います。プロレスはライバルの存在が重要。ふたりともベビーフェイスだったから、中邑は「棚橋さんと同じことをやってもしょうがない」と模索した末に、あの「イヤァオ!」のスタイルにしたんでしょう。"太陽"がいたら、"月"になるしかないですからね。
あの頃、棚橋は契約更改の時に「契約金を中邑よりも1円でも高くしたい」ということにこだわっていました。中邑は後輩ですが、ヤングライオンをやってない、付き人をやってないなど、特別扱いだった。そういう意味でも、負けたくない思いは非常に強かったと思います。
――中邑選手は、その時に作り上げたスタイルでアメリカのWWEでも成功していますね。
柴田:オカダも台頭したから、もう新日本は大丈夫かな、ということで、アメリカで挑戦する決断をしたんでしょうね。現在の活躍ぶりを見ると、中邑の選択は正しかったと思います。
――来年1・4東京ドームの引退試合の相手は、オカダ・カズチカ選手に決まりましたね。11月8日に開催された愛知・安城大会のメインイベント終了後に、オカダ選手が「よかったら僕がやりますよ」と名乗りを上げました。
柴田:いろんな政治的な問題もあるなかで、オカダになったのはベストな選択だと思います。2015年11月15日、天龍源一郎さんの引退試合の相手もオカダでしたね。天龍さんのパワーボムのクラッチが外れ、オカダの後頭部が真っ逆さまに落ちた時は一瞬ヒヤッとしましたけど、オカダは体が強いし、受け身もうまいからケガなく終えられた。さまざまな意味で、棚橋の引退試合の相手にふさわしいと思います。
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