検索

【プロレス】「オレと最後のシングルマッチ、やってないでしょ?」 棚橋弘至を追い、超えた内藤哲也の未練 (4ページ目)

  • 井上崇宏●取材・文
  • 市川光治(光スタジオ)●構成

【オレのところまで追いついてこいよ】

── そうして完全に振り切ったプロレスをやるようになった時、棚橋選手のことはどう見ていたんですか。

内藤 たぶんロス・インゴベルナブレスに入るまでは、「この人を超えなきゃいけないけど、どうしたら超えられるのかがわからない」という状態でした。シングルマッチで勝ったことはあるけど、存在として超えられない。「どうしたらいいんだろう?」という迷いのなかでずっとやっていたんですけど、ロス・インゴベルナブレスに出会ってからは、むしろ「超えちゃったな」と思って見ていましたね。でも特別な存在であることに変わりはなく、「常に輝いていてほしいな。まあ、オレのおかげで輝くんだけどさ」っていう感じで、棚橋のことはずっと見てました。

── 「超えちゃったな」と思えた時、一抹の寂しさを覚えたりはしなかったですか。

内藤 2018年の東京ドームで棚橋とインターコンチネンタル王座をかけてシングルマッチをやって勝ったあと、オレはもう完全に上回ったと実感して、リング上でお辞儀をしたんです。「オレが棚橋弘至を追いかけるのはここまでだよ。ここからはあなたがオレのことを追いかけてくださいね」という思いを込めた一礼で。追いかける対象がいなくなったことにちょっとだけ寂しさを感じつつ、「オレのところまで追いついてこいよ」という、それまでとは違う楽しみが自分のなかで生まれたのかなと思っていました。

── それが2025年4月に内藤さんは新日本を退団して、本当の反逆者になってしまった。

内藤 昔、オレがまだ本隊にいた2012年か2013年だったと思うんですけど、ちょっとだけかわした会話のなかで棚橋が「いつか社長になりたい」って言ってたんです。軽い気持ちで言ったのかもしれないけど、オレはそれを覚えていて。だから棚橋が新日本の社長になるって聞いた時、「ああ、あの時に言ってたことが本当に実現するんだな。夢が叶ってうれしいんだろうな」と。

── その棚橋選手がついに引退です。

内藤 オレは武藤敬司がきっかけでプロレスを好きになり、棚橋弘至が好きでプロレスラーを目指すようになった。武藤敬司の引退試合の相手はオレがやりましたけど、棚橋弘至は引退を発表してからいろんな選手とラストシングルマッチをやってるけど、オレとはやっていないわけで。「引退? いやいや、オレと最後のシングルマッチやってないでしょ?」っていうのは、ずっと言い続けたいなと思いますね。


内藤哲也(ないとう・てつや)/1982年6月22日生まれ。東京都出身。2005年、新日本プロレスに入門し、06年にデビュー。08年10月に裕次郎とのコンビでIWGPジュニアタッグ王座を獲得。メキシコ遠征を経て、10年1月4日の東京ドーム大会、同コンビでIWGPタッグ王座を手にした。13年の「G1クライマックス」で棚橋弘至を破り初優勝。16年4月にはオカダ・カズチカを破り、IWGPヘビー級王座を初戴冠。同年度の「プロレス大賞」で最優秀選手賞(MVP)に輝いた。20年の1月5日の東京ドーム大会でオカダを破り、史上初のIWGPヘビー級&インターコンチネンタルの二冠王者になった。25年4月、新日本プロレスを退団した。

フォトギャラリーを見る

4 / 4

キーワード

このページのトップに戻る