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【プロレス】「オレと最後のシングルマッチ、やってないでしょ?」 棚橋弘至を追い、超えた内藤哲也の未練 (2ページ目)

  • 井上崇宏●取材・文
  • 市川光治(光スタジオ)●構成

【セミファイナルの屈辱】

── 内藤さんはブレイクしきれない時期がしばらくあって、2013年に悲願のG1初優勝。通常なら翌年のイッテンヨン(1月4日の東京ドーム大会)のメインで、オカダ・カズチカ選手のIWGPヘビー級王座に挑戦するはずですが、あの時はファン投票によって試合順が決められることになりました。

内藤 投票で負けると思いました。ということは、当時の新日本プロレスはオカダ、中邑(真輔)、棚橋は信用しているけど、オレのことは信用してないんだなと。だから、なんとかして内藤をメインから引きずり下ろしたい。じゃあ、どうしようと考えた時に、お客さまのせいにしようとしたんだろうなと思いました。

── 内藤さんの予想どおり、オカダvs.内藤のIWGPヘビー級王座戦がセミとなり、中邑vs棚橋のインターコンチネンタル王座戦がメインになりました。

内藤 やっぱりオレにメインを任せるのは嫌なんだな、怖いんだなって。当時はそんなことを思っていても言えなかった。投票をやると聞いた瞬間、オレを下ろしたいんだなっていうのはわかったし、実際に棚橋、中邑、オカダと比べたら、内藤はどうしても一枚も二枚も落ちてしまうわけで、その3人との差をすごく感じましたね。

 あの時、4人で会見したんですよ。で、オレも「(ファン投票開催は)どうぞ」みたいなちょっと自信ありげなコメントをしたけど、内心は違いましたよね。でも、そこは強がらなきゃいけないわけで、あの時はすごく苦しかったことを覚えています。

── 内藤哲也の歴史を語るうえで、絶対に外すことのできないターニングポイントですよね。

内藤 間違いなくそうでしょうね。それを踏まえて、その翌年の2015年にメキシコに行くわけですけど。

── あそこで外の空気を吸ったことがよかったですね。

内藤 別に最初からロス・インゴベルナブレスを日本に持ち帰ることは決まっていなかったわけで、あそこはオレの感覚でしかなかったけど......持ち帰ってよかった。

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