【プロレス】「オレと最後のシングルマッチ、やってないでしょ?」 棚橋弘至を追い、超えた内藤哲也の未練 (3ページ目)
── 長年の苦悩があったからこそ、「これを日本でやろう」という直感が働いた。
内藤 ずっとブーイングとか批判的な言葉を浴びて、あんなに大好きだったプロレスをやるのが嫌で嫌でしょうがなかったなかで、メキシコでプロレスをやっている日々はホント楽しくてしょうがなかった。
【新日本プロレスはオカダ推し】
── そしてロス・インゴベルナブレス・デ・ハポンを結成して、当然、新日本の象徴である棚橋弘至を引きずり下ろしに行くわけですけど。
内藤 棚橋とオカダですね。オレがIWGPヘビー級王座に初挑戦したのが2011年10月10日で、棚橋のデビュー戦の日だったんですけど、9月19日の神戸大会で挑戦表明した時にマイクで「棚橋弘至を引きずり下ろすのがオレの役目だ」って言ったんですよね。やっぱり、その思いは昔からずっと持っていました。棚橋弘至の時代を終わらせるのがオレの役目だけど、最終的に棚橋の引退試合の相手はオレじゃないわけで、それを叶えることができなかったことがすごく悔しい。
── 内藤さんが新日本を退団していなかったら実現したかもですよね。
内藤 でもオレが所属していても、なかったですね。
── なおさら、なかったですかね?
内藤 そう、なおさら。むしろ、辞めたから多少は可能性があったかもしれない。
── ロスインゴとして大活躍して、IWGPとインターコンチも獲って、名実ともに新日本のトップに立ちましたよね。
内藤 立ちましたか? その実感はないですよ。
── 本当ですか?
内藤 いくら会場で人気はあっても、やっぱり新日本プロレスのオカダ推しは感じていたわけで。ただ、ロス・インゴベルナブレスをメキシコから持ち帰った時に、ブーイングとか批判的な意見を気にするのはもうやめて、「自分がやりたいことをやるのがベストなんだ」と思っていたので、もう気にしてなかったですね。もしかしたらトップに立ったのかもしれないけど、それすらもどうでもよくて、まわりの評価を気にせず、自分がやりたいことをやるのが最優先でした。だから実感がなかったのかもしれないです。
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