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【女子プロレス】東日本大震災、妹・幸子とのタッグ解散......身長151cmのハードコアレスラー、DASH・チサコが乗り越えてきた苦難の日々 (4ページ目)

  • 尾崎ムギ子●取材・文 text by Ozaki Mugiko

人生を振り返ったDASH・チサコphoto by 林ユバ人生を振り返ったDASH・チサコphoto by 林ユバこの記事に関連する写真を見る

 さらに精神を削ったのは、テレビ局の密着取材だ。ある報道番組のスタッフ2人が寮近くに部屋を借り、半年もの間、ほぼ四六時中、カメラを回し続けた。

「練習中の苦しい表情はもちろん、休憩中の気の抜けた顔まで全部撮られました。普通に部屋に入ってきて、寝顔まで撮られたんです。あれでメディア恐怖症になりましたね」

 肉体的な疲労と、常にカメラに見張られているような圧迫感。その中で、「やめたい」という言葉を何度も口にしかけては、飲み込んだ。練習開始から2カ月後、妹の幸子も仙女に入門。よき理解者である幸子と共に、旗揚げ戦までの日々を耐え抜いた。

【海外進出を目前に、「十文字姉妹」解散】

 2006年7月9日、仙台サンプラザでの仙女の旗揚げ戦。チサコのデビュー戦の相手は、ダイナマイト・関西だった。持ち技はドロップキック、ボディプレス、ウラカン・ラナ。しかしゴングが鳴っても体が動かず、技を出す間もなく右ハイキック一発、開始数分でTKO負け。関西に担がれ退場した。

 当時の仙女は、浜田文子、アジャコング、カルロス天野ら"外敵"を迎え撃つ方針。デビュー間もないチサコも試練マッチが続いた。

「同期は東京でいろんな人たちと試合しているのに、自分たちは強豪ばかりとやらされる。いつまでベテランの選手たちに潰され続けなきゃいけないのか......。息が詰まる思いがしました」

 だが、この下積みが力になった。妹・幸子と「金成姉妹」(のちに「十文字姉妹」に改名)を結成し、他団体からのオファーも増加。海外進出の夢も現実味を帯びた。

 そんな矢先、2011年3月11日。東日本大震災が仙女の本拠地・宮城を襲う。自宅は半壊し、車中泊の日々。避難先の祖母宅に最初に現れたのは、社長の新崎人生だった。その顔を見て、涙が出た。

 被災地の現実は厳しかった。スポンサーは離れ、仲間は流出。団体存続の危機に、チサコは言いきった。「仙女がなくなるなら、自分はプロレスをやめます」――。結果、仙女は里村が社長になり、継続することになる。6月の石巻大会では、観客から「生きててよかった」と声をかけられた。その言葉は今も胸に残っている。

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