【女子プロレス】東日本大震災、妹・幸子とのタッグ解散......身長151cmのハードコアレスラー、DASH・チサコが乗り越えてきた苦難の日々 (3ページ目)
【何度も口にしかけて飲み込んだ「やめたい」という言葉】
高2のある日、バイト先のピザ屋に置かれていたフリーペーパーが目に留まった。そこには、センダイガールズプロレスリング(以下、仙女)旗揚げに伴う新人募集の広告が載っていた。
ページを破り取り、家に持ち帰って母に見せると、猛反対された。しかし、反対されると燃えるのがチサコの性格。人と違うことをするほうが好きだし、やってみなければわからない。「入門テストだけでいいから受けさせて」と食い下がり、オーディション会場である東京へ向かった。
運動経験がなく、体力テストは惨敗。それでも最後の自己PRで、実家から持参したピンクのラジカセを取り出し、当時流行していたパラパラを踊ってみせた。その突き抜けた一発芸に、里村明衣子と社長の新崎人生は目を見張った。
オーディションに集まったのは、たったの3人(チサコ、奥田朱理、金子友里恵=悲恋)。結果は全員合格だった。
当初は高校に通いながらレスラーになるつもりだったが、里村からは「それでは旗揚げ戦のデビューに間に合わない」と告げられる。迷った末、チサコは中退を決意する。どうしても仙女の1期生としてデビューしたかった。奥田や悲恋の後輩になることだけは避けたかった。
この頃、両親が離婚。チサコは母を心配しつつも、仙女寮に入った。
今どきのプロレスラーは、1日2、3時間の練習で終わることも多い。しかし、チサコが入門した当時はまるで別世界だった。
朝起きるとすぐ道場に行き、まずはランニング。汗をかいたまま道場の掃除を済ませ、午前10時から練習が始まる。正午までは、延々とダッシュ、腕立て伏せ、スクワットなどの基礎体力メニュー。2時間の休憩を挟んで、14時から18時までリング練習。先輩が帰るまで、後輩は帰れない。寮に戻れば食事当番と掃除当番が待っている。
「道場に行くだけで、拒否反応で気持ちが悪くなりました。道場の近くに線路があって、『今日は轢かれよう』と思うんですけど、怖くて飛び込めなかった。練習を休むと、取り戻すのに2日くらいかかるから休めない。なんかもう......ずっと闘ってますね」
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