佐竹雅昭がサム・グレコ戦で自覚した「脳へのダメージ」の蓄積 その後のキモ戦は「キャリアのピーク」 (4ページ目)
キモ戦で覚えている光景は、試合後の控室だけだという。
「試合中の記憶はほぼなく、意識が戻ったのは試合後の控室でした。セコンドについてくれた後輩が、僕に向かって何かを話しているのをボーッと聞いていました。周りは、僕の記憶が飛んでいるようには見えなかったようです。
後輩から『勝ちましたよ』と言われた時は、『えっ! 勝ったの?』と聞き返しましたよ。ピーク中のピークが、あのキモ戦だったのかもしれません。肉体的な限界もあるから、仕方ない部分もありますが......」
キモをKOで下して初戦を突破した佐竹は、2カ月後の5月4日に代々木体育館で行なわれた準々決勝に挑んだ。相手は、フランスのジェロム・レ・バンナ。この一戦で心配していた脳の異変をはっきりと自覚することになった。
(連載13:バンナ戦後のK-1長期休養の真相 ヘビー級での連戦に医師から警告「脳が委縮するかもしれない」)
【プロフィール】
佐竹雅昭(さたけ・まさあき)
1965年8月17日生まれ、大阪府吹田市出身。中学時代に空手家を志し、高校入学と同時に正道会館に入門。大学時代から全日本空手道選手権を通算4度制覇。ヨーロッパ全土、タイ、オーストラリア、アメリカへ武者修行し、そこで世界各国の格闘技、武術を学ぶ。1993年、格闘技イベント「K-1」の旗揚げに関わり、選手としても活躍する傍ら、映画やテレビ・ラジオのバラエティ番組などでも活動。2003年に「総合打撃道」という新武道を掲げ、京都府京都市に佐竹道場を構え総長を務める。2007年、京都の企業・会社・医院など、経営者を対象に「平成武師道」という人間活動学塾を立ち上げ、各地で講演を行なう。
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