ケンコバが語る越中詩郎45周年セレモニー前に起きた事件 天龍源一郎や藤波辰爾らとの会話で大困惑 (4ページ目)

  • 松岡健治●取材・文 text by Matsuoka Kenji

【越中が見せた珍しい表情】

――裏でそんなやりとりがあったとは......。

「予定していなかったことが、簡単にひっくり返される現場を目の当たりにして、『これがプロレス界に言い伝えられてきた、"ボタンの掛け違い"から歴史が動いていく、ということなんやな』と感動しましたよ。

 でも、これも失礼を承知で言わせていただきますが......大変ありがたいことに、藤波さんとも話をさせていただいたんですけど、まったく何を言っているのかわからなくて(笑)。俺の脳内コンピューターは、完全に制御不能に陥りました。しかも、こういったやりとりがあったので、肝心の越中さんの記念試合は序盤とフィニッシュシーンくらいしか見られませんでした(笑)」

――経緯は知りませんでしたが、セレモニーはとても感動的でした。ケンコバさんの『プロレスが大好きで、プロレスラーが大好きで、プロレスラーが苦しいなか立ち上がっていく姿が大好きで、その姿を一番見せてくれた越中選手が大好き。本当に今日、うれしいです』というメッセージも感動しました。最後に『越中さん、おめでとうございますだって!』と、体を震わせるモノマネつきで会場を沸かせたのも最高でした。

「そう言っていただけて恐縮です。ありがとうございます。ただ、メッセージは咄嗟に考えたものでしたけどね(笑)。俺なんかが、大好きな越中さんの晴れの舞台に呼んでいただけるだけでも光栄なんですが、お客さん、何より越中さんに喜んでいただけて本当によかったです。

 俺が見れたのは一部ですけど、試合中も越中さんはうれしそうな顔をしていました。試合であんな表情をする越中さんって、珍しいですよね」

――確かにそうですね。

「では、45周年大会の話はここまでにしましょうか。次回は、俺が考える越中さんの"禁断の試合"についてお話ししましょう」

――ぜひ、よろしくお願いいたします!

(連載14:越中詩郎の「禁断の試合」 ザ・コブラのための大会で目撃したある異変>>)

【プロフィール】
ケンドーコバヤシ

お笑い芸人。1972年7月4日生まれ、大阪府大阪市出身。よしもとクリエイティブ・エージェンシー所属。1992年に大阪NSCに入学。『にけつッ‼』(読売テレビ)、『アメト――ク!』(テレビ朝日)など、多数のテレビ番組に出演。大のプロレス好きとしても知られ、芸名の由来はプロレスラーのケンドー・ナガサキ。

【写真】ケンコバのプロレス連載 試合フォトギャラリー

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