【アントニオ猪木 一周忌】佐山聡が明かす最後の会話 「会えて幸せでした」に猪木はただ黙ってうなずいた (2ページ目)

  • 松岡健治●文 text by Matsuoka Kenji
  • photo by 東京スポーツ/アフロ

【猪木さんは「例えるなら軟体動物」】

 少年時代に憧れ、プロレスラーへ導いた猪木さんが亡くなってから一年。佐山は、最も胸に迫る師匠との思い出を明かした。

「一緒に練習をやったことが最高の思い出です。若手の時代もタイガーマスクになってからも、道場、地方の体育館......しょっちゅう2人で練習をしていました。猪木さんとの練習は楽しかった。言葉での会話は少ないんです。だけど、スパーリングをやりながら、言葉はなくても語り合えた。それは光栄なことでした」

 佐山が猪木さんと初めてスパーリングを行なったのはデビュー前の練習生時代。以来、猪木さんとの練習で強さを磨く日々が始まった。そうして相対すると、佐山が子供の頃に「ガチなら一番強い」と信じた通りの猪木さんの実力を感じたという。

「猪木さんは一番、強かった。当時、スパーリングをやっても新日本で勝てる人は誰もいませんでした。組むとパワーは感じないんですが、柔らかくて、例えるなら軟体動物のようにピタっとくっついてくるんです。そして関節が異常に柔らかくて、アキレス腱固めなどは絶対に極まらなかった。首絞めも極まりません。あの柔らかさは特別でした」

 思い出すのはスパーリングでの強さだけではない。ヒンズースクワット、プッシュアップなど基礎練習もそう。当時の新日本は、道場にトランプが用意され、カードをめくった数と同じ回数を行なうという練習方法だった。

「ただ、ジョーカーが出ると特別で、例えば60回とか、他のカードより多い回数をやらないといけない決まりなんです。ある時、僕がひとりでトランプをめくって練習をしていたらジョーカーが出て、『今日は疲れたから、回数を重ねるのはやめよう』と思ったら、いきなり後ろから猪木さんが『お前、やめただろ!』って注意されたんです。僕の練習を後ろからこっそり見ていたんですね。あの時はびっくりしましたし、2人で大笑いしました」

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