第75代横綱・大の里まで4代にわたり受け継がれた "土俵の鬼" 初代若乃花(二子山親方)のエッセンス
初場所から史上最速で横綱昇進を果たした大の里(左)と二所ノ関親方 photo by Kyodo News
後編:新横綱・大の里に継がれた4代横綱の系譜
入門から所要わずか13場所、新入幕からは所要9場所という史上最速のスピードで大相撲の最高位に達した第75代横綱・大の里。その偉業の裏には恵まれた素質を生かすべくたゆまぬ努力はもちろんのこと、元横綱・稀勢の里の二所ノ関親方から基礎の大切さを説く指導があった。
その系譜をひも解いていくと、二所ノ関親方の師匠の師匠である二子山親方(初代若乃花)に行き着くことがわかる。
大の里は、元横綱の親方たちが3代にわたって受け継いだ教えを胸に、迎える7月場所では3代にわたる新横綱優勝に挑むことになる。
【大切なのは「孤独な稽古を今以上にやることだ」】
大の里の師匠・二所ノ関親方(元横綱・稀勢の里)も現役時代、大関、横綱を狙おうかという時期に、入門時の師匠である鳴戸親方(元横綱・隆の里)から、基礎の大切さについてとうとうと説かれていた。
「これからは土俵外の稽古が大事になってくる。土俵の中にいれば相手がいるが、土俵の外は相手がいない。つまり、孤独な稽古を今以上にやることだ。きつくなると筋肉がもう止めろ、脳みそがもういいだろうという指令を出す。だけど、まだまだ、もう少し、もうちょっとやらないとだめだと思いながら、そこで頑張らないといけない」
稀勢の里の師匠である元横綱・隆の里は、"土俵の鬼"と言われた初代若乃花の二子山親方にスカウトされ、のちに第56代横綱となる2代目若乃花と同じ汽車で青森県から上京。高校を3カ月で中退して二子山部屋に入門したが、10代で糖尿病を患って出世は遅かった。
入幕当初は幕内に定着できなかったが、稽古以外にも節制と、当時はまだ珍しかった筋力トレーニングに打ち込むことによって、糖尿病を克服すると30歳で綱を張ったのだった。
隆の里の師匠である二子山親方の第45代横綱・初代若乃花の強靭な足腰は「かかとに目がある」と言われ、土俵際に足が掛かったら、テコでも動かなかった。得意技であった「呼び戻し」も抜群の安定感を誇る下半身のバネがあったからこそ、あれだけ豪快に決まるのである。相撲の基礎の重要性は初代若乃花、隆の里、稀勢の里、そして大の里と4代にわたる師弟の横綱に着実に受け継がれている。
関取に上がる前の取的(とりてき)時代の隆の里は師匠の給仕係や付け人を務め、間近で話す"土俵の鬼"のエッセンスを若い頃からたっぷりと取り込んでいた。鳴戸親方は稀勢の里が大関昇進を決めた平成23(2011)年九州場所前に59歳の若さで亡くなったが、横綱としての心構えをすでに伝授していた。
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著者プロフィール
荒井太郎 (あらい・たろう)
1967年東京都生まれ。早稲田大学卒業。相撲ジャーナリストとして専門誌に取材執筆、連載も持つ。テレビ、ラジオ出演、コメント提供多数。『大相撲事件史』『大相撲あるある』『知れば知るほど大相撲』(舞の海氏との共著)、近著に横綱稀勢の里を描いた『愚直』など著書多数。相撲に関する書籍や番組の企画、監修なども手掛ける。早稲田大学エクステンションセンター講師、ヤフー大相撲公式コメンテーター。