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第75代横綱・大の里まで4代にわたり受け継がれた "土俵の鬼" 初代若乃花(二子山親方)のエッセンス (2ページ目)

  • 荒井太郎●取材・文 text by Arai Taro

【「これからは誰も何も言わなくなるから、それが一番怖い」】

 鳴戸親方は、孤独である横綱の地位をギリシャ神話の『ダモクレスの剣』という故事にたとえ、まな弟子に説いたものだった。

 シチリア島シラクサスの王、ディオニシウスは臣下のダモクレスが王位をあまりにもうらやましがるので、ある日、宴に招いて自分の着物を着せて玉座に座らせた。そして、豪華な料理を次から次へと持ってこさせ、贅の限りを尽くしてもてなした。ダモクレスは最高の気分に浸っていたが、ふと頭上を見ると剣が馬の尾の毛一本で天井から吊るされているだけだった。

 一見、栄華を誇っているように見える王様の身辺も、常に危険にさらされているというたとえである。角界の頂点である横綱も羨望の眼差しを向けられる地位ではあるが、常に品格、力量が問われ、毎場所ハイレベルの成績が求められる。どこに行っても最高級の待遇でもてなしを受けるが、負けが込めば、たとえ若くても進退が問われることになり、土俵内外で一挙一動が批判の対象にもさらされる。

「これからは誰も何も言わなくなるから、それが一番怖いんだ」と師匠の二子山親方から、横綱昇進が決まったときにそう言われた言葉が、常に脳裏に焼き付いていたと隆の里の鳴戸親方は、のちに語っていた。横綱ともなれば、諭してくれる人もいなくなるものだ。自分で気づき、律していくしかない。

 稀勢の里の二所ノ関親方は、昨年秋場所後に行なわれた大の里の大関昇進伝達式を前に、本人にはすでに横綱になる者としてのあるべき姿、心構えを伝えたという。そこには"土俵の鬼"から脈々と受け継がれた教えも含まれていたことだろう。

「一番上に上がりましたけど、まだ成長途中だと思うので、そういうところでまた指導していきたい」と横綱になってもまだまだ伸びしろ十分のまな弟子に、これからも"気づき"を与えていくつもりだ。

 隆の里は昭和58(1983)年秋場所、千代の富士との横綱同士による楽日全勝対決を制し、史上初となる15日制下での新横綱全勝優勝という快挙をやってのけた。弟子の稀勢の里も平成29(2017)年春場所、休場もやむなしと言われた大ケガを13日目に負いながら強行出場すると、千秋楽は本割、決定戦と大関・照ノ富士に連勝し、奇跡の大逆転で新横綱Vを達成した。

「新横綱場所はさらに大事になってくる。稽古に精進して頑張りたい」と意気込む大の里には、師弟3代にわたる新横綱優勝の大きな期待が懸かっている。

【Profile】
大の里泰輝(おおのさと・だいき)/平成12(2000)年6月7日生まれ、石川県河北郡津幡町出身/本名:中村泰輝/能生中―海洋高(以上、新潟)―日本体育大/主なアマチュア戦績:学生横綱(2019年)、アマチュア横綱(2021、22年)/所属:二所ノ関部屋/初土俵:令和5(2023)年5月場所、初十両:令和5(2023)年9月場所、新入幕:令和6(2024)年1月場所、新三役:令和6(2024)年5月場所、大関昇進:令和6(2024)年11月場所/横綱昇進(第75代):令和7(2025)年7月場所

大の里を育てた〈かにや旅館〉物語

少年たちの夢を支え育む
相撲部屋を舞台にした感動のノンフィクション

新潟県糸魚川市能生(のう)に、全国の相撲少年が集まる寮〈かにや旅館〉がある。海洋高校相撲部の田海(とうみ)哲也総監督が経営していた元旅館だ。そこが実質、相撲部屋となり、続々と未来のスター力士を輩出している。
パワハラ、いじめ、不登校など、難しい問題が渦巻く中、田海夫妻が彼らの心身の成長に深くかかわり、そのおかげで生徒たちは練習に打ち込めていた。大の里をはじめ白熊、欧勝海、嘉陽ら多くの力士が巣立っていった〈かにや旅館〉で繰り広げられる、力士育成の物語。

著者プロフィール

  • 荒井太郎

    荒井太郎 (あらい・たろう)

    1967年東京都生まれ。早稲田大学卒業。相撲ジャーナリストとして専門誌に取材執筆、連載も持つ。テレビ、ラジオ出演、コメント提供多数。『大相撲事件史』『大相撲あるある』『知れば知るほど大相撲』(舞の海氏との共著)、近著に横綱稀勢の里を描いた『愚直』など著書多数。相撲に関する書籍や番組の企画、監修なども手掛ける。早稲田大学エクステンションセンター講師、ヤフー大相撲公式コメンテーター。

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