【女子バレー】東レ滋賀の青柳京古が目指し続けたオリンピックの夢 悩み続けて果たした31歳での代表入りとその先
『ハイキュー‼』×SVリーグ コラボ連載vol.2(32)
東レアローズ滋賀 青柳京古 前編
【高校時代に出会ったリオ五輪のメダリスト】
「高校生の時は日本代表の試合を見て、その間もVリーグをチェックしていました。もう、アホなくらい見ていましたね」
東レアローズ滋賀の青柳京古(34歳)は明るい声で言った。日本代表選手としてオリンピックの舞台に立つことに強く憧れていた。そんな愚直な志があったからこそ、ミドルブロッカーとして代表メンバーに選ばれたのだろう。
2023年に31歳で日本代表入りを果たした青柳 photo by アフロスポーツこの記事に関連する写真を見る
「大学からVリーグのチームに入った頃に『ハイキュー‼』を読んだんですが、自分のプレースタイルにそっくりな主人公(日向翔陽)が出てきたんです!『これは奇跡だな』って思いました」
青柳ははしゃぐように言った。日向のごとく、自分の可能性を信じられる才能の持ち主だ。
長野県上水内郡信濃町で生まれた青柳は、ゆりかごのなかにいた頃から、両親が所属していたバレーチームの練習に連れていかれていた。もちろん記憶はない。しかし、「何度もその話をするうち、景色が見えてきた気がします」とおどけた。
「お母さんもお父さんもいて、男女混合のチームでした。世代も関係なく、小学生から中学生、高校生、大学生もみんなが混ざって、バンバン強いスパイクを打たれましたが、楽しかったし、ボールは怖くなかったです。コートに10人立つ日もあれば、3人しかいない日もあって、ネットの高さも2m30cmの日や2mの日もありました。自分の原点ですね」
青柳は幸せに満ちた表情で続ける。
「とにかく自由で、やってみたいと思ったことをすぐにできる、縛られない環境でした。サーブも『まずはアンダーから』という感じでもなかったので、最初から木村沙織さんのマネをして片足で踏みきるサーブを打っていました。ブロード攻撃も、試しにやってみたらできるようになって。今でも、地元の体育館の匂いは、家よりも懐かしいです(笑)」
中学1年からクラブチームに入ったが、囚われない環境で培われた基礎があったからこそ、アウトサイドヒッター、ミドルブロッカーのどちらでもよさを発揮できるようになった。
1 / 3
著者プロフィール

小宮良之 (こみやよしゆき)
スポーツライター。1972年生まれ、横浜出身。大学卒業後にバルセロナに渡り、スポーツライターに。語学力を駆使して五輪、W杯を現地取材後、06年に帰国。著書は20冊以上で『導かれし者』(角川文庫)、『アンチ・ドロップアウト』(集英社)など。『ラストシュート 絆を忘れない』(角川文庫)で小説家デビューし、2020年12月には『氷上のフェニックス』(角川文庫)を刊行。パリ五輪ではバレーボールを中心に取材。



















































