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【女子バレー】東レ滋賀の青柳京古が目指し続けたオリンピックの夢 悩み続けて果たした31歳での代表入りとその先 (2ページ目)

  • 小宮良之●取材・文 text by Yoshiyuki Komiya

 そして高校では、人生を変える出会いがあったという。

「『オーラある子がいるな』と思ったんですが、シンクロナイズドスイミング(現在のアーティスティックスイミング)のジュニア世界選手権で優勝した箱山愛香だったんです。リオデジャネイロ五輪では銅メダルを獲りましたね。

 箱山は、"朝から晩までシンクロのために生きている"という人でした。休み時間も体幹トレーニングをしていて、『絶対に夢は叶う』と言っていましたね。普段の会話から『私はシンクロで金メダルを獲る』と聞いていたから、私も自然と『バレーで代表に入り、オリンピックに行く』と言うようになって。ノートの落書きも、私たちは『夢は叶う。日の丸を背負う夢を掴むぞ!』って感じでした(笑)」

【10年越しで果たした日本代表入り】

 たまにある休みには、ふたりでフルーツジュースを飲みに行った。夕張メロンジュースが定番。それを飲むと勝てるジンクスがあったからだ。

 生活のすべてが、代表、オリンピック出場のためにあった。アウトサイドヒッターとして活躍し、大学4年で本格的にミドルブロッカーに転向。2013年12月にVリーグの上尾メディックス(現・埼玉上尾メディックス)に入団してからも、彼女のイメージは変わらず高いところにあった。

 監督にアリー・セリンジャー(バレー殿堂入りの名監督)の論文を「読んでみろ」と渡され、読み漁ったという。ミドルブロッカーに関しての記述では、「ミドルもブロック完成前に速く低く打つだけじゃなくて、高いところからいいテンポで打ったらいいかもしれない」という発見があり、「私がそういうミドルになれば、日本バレーは新しくなる!」と胸を躍らせた。

 周りがたじろぐような研究心と野心は、まさに日向のようだった。

「たとえばサーブも、フォームをあえて崩しては戻すなど、ずっと悩んできました。自分はひとつのことに打ち込めるタイプらしいです」

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