宮下遥が語る、バレー女子日本代表で竹下佳江と比べられた日々 リオ五輪本番は「記憶が欠け落ちている」 (4ページ目)
――確かに、リオ五輪の最終予選は劇的でしたね。特に2勝1敗で迎えたタイ戦は、フルセットになった最終セットで6-12とリードされる崖っぷちの展開から、宮下さんのサーブ時にサービスエースを含めた連続ブレイクもあって大逆転勝利となりました。あれだけ緊迫した状況で、攻めたサーブを1本もミスせず、打ち続けたことを鮮明に記憶しています。
宮下:日本が100パーセントの力を最初から出して、前半のアジア勢との試合を問題なくポンポンポンってクリアしてたら、そこまで苦しくはならなかったと思います。やっぱりいつもの国際大会とは何か違いました。でも、ああいう絶対絶命になったところからでも勝ちきれたのは、ロンドン五輪が終わってから積み重ねてきたものがちゃんとあったんだなって思います。
――リオ五輪の準々決勝で敗退したあと、当時のエースだった木村沙織さんから「(古賀)紗理那をよろしくね」と頼まれた、というエピソードが話題になりましたね。
宮下:沙織さんから、「次は遥と紗理那だよ」と言われたことはぼんやりと覚えています。あれは私への、東京五輪に向けての言葉だったのかなと思いますし、「そうだな、紗理那はここ(五輪のコート)に立つべき選手だったな」とも思いました。
その時は、リオ五輪が終わったばかりで次のことを考えられなかったのですが......彼女が次の東京五輪に向けて頑張れるように、自分になにかできることはないかなと。沙織さんの次に日本を引っ張っていかなきゃいけない、活躍しなきゃいけない選手であることは間違いなかったので、私も「そのために何かしなければならない責任があるのかな」と、少し時間が経ってから思いました。
(中編:女子バレー日本代表での中田久美との関係 岡山シーガルズ一筋で引退した理由も語った>>)
【プロフィール】
■宮下 遥(みやした・はるか)
1994年9月1日生まれ、三重県出身。177cm。セッター。中学3年生だった2009年に岡山シーガルズに選手登録され、同年11月にⅤリーグ史上最年少出場記録となる15歳2カ月でデビュー。翌年3月には日本代表の登録メンバーに選ばれ、2016年のリオ五輪では正セッターを務めた。岡山シーガルズひと筋で15年プレーし、2024年4月に現役引退を発表した。
著者プロフィール
中西美雁 (なかにし・みかり)
名古屋大学大学院法学研究科修了後、フリーの編集ライターに。1997年よりバレーボールの取材活動を開始し、専門誌やスポーツ誌に寄稿。現在はweb Sportiva、バレーボールマガジンなどで執筆活動を行なっている。『バレーボールスピリット』(そしえて)、『バレーボールダイジェスト』(日本スポーツ企画出版)、『球萌え。』(マガジンハウス)、『全日本女子バレーコンプリートガイド』(JTBパブリッシング)などを企画編集。スポルティーバで西田有志の連載を担当
【写真】日本代表、Vリーグデビュー、優勝時の涙・・・宮下遥フォトギャラリー
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