宮下遥が明かす、女子バレー日本代表での中田久美との関係 岡山シーガルズ一筋で引退した理由も語った

  • 中西美雁●取材・文 text by Nakanishi Mikari

元女子バレー日本代表

宮下遥 引退インタビュー 中編

(前編:バレー女子日本代表で竹下佳江と比べられた日々 リオ五輪本番は「記憶が欠け落ちている」>>)

 4月に現役引退を発表した、元女子バレー日本代表の宮下遥さんのバレーボール人生を振り返るインタビュー。その中編では、リオ五輪後に中田久美監督が指揮する日本代表でプレーした日々、現役最後のシーズンに黒鷲旗大会を制したこと、今後についても聞いた。

日本代表のセッターとして長く奮闘した宮下遥 photo by 坂本清日本代表のセッターとして長く奮闘した宮下遥 photo by 坂本清この記事に関連する写真を見る

【"高速バレー"への適応に苦悩】

――リオ五輪後、中田久美さんが女子日本代表の監督に就任。求められる"高速バレー"への適応に苦労していた印象もあり、代表への招集が見送られることもありましたね。

宮下:久美さんの本当の気持ちはわからないですけど、たぶん、「一緒に戦いたい、頑張りたい」と思ってくれていたと思うんです。でも私は、東京五輪はもういい、代表はもういいとなっていました。久美さんに直接言ったわけではないですが、周りの人にはけっこう言っていたので、耳には入っていたと思います。だから、私のことを思いきって使いづらかったんでしょうし、一緒に戦えなかったんだろうな、と。

――先ほど(前編)は、リオ五輪後は古賀紗理那選手のためにも東京五輪へ、という意気込みを話していたかと思いますが......。

宮下:久美さんがチームとして求めるプレーが、頭ではわかっていても、実際に表現することができなかったんです。それでも久美さんは、「気持ちを見せてくれれば」という部分も絶対にあったと思うんですけど、「私はもうそんな高いレベルできないから、もっと上手な選手を起用したほうがいい。私なんかを使ったら、またリオ五輪みたいなことになる」と思い込むようになりました。

 当時、「私と久美さんの仲が悪い」といった報道もありましたが、まったくそんなことはありません。私も、なんとしてでも久美さんの気持ちに応えたいという思いはあって、久美さんは私の自主練に付き合ってくれました。よく「遥、遥」と声もかけてくれましたね。久美さんの期待に応えることができなかった私が悪いんです。

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著者プロフィール

  • 中西美雁

    中西美雁 (なかにし・みかり)

    名古屋大学大学院法学研究科修了後、フリーの編集ライターに。1997年よりバレーボールの取材活動を開始し、専門誌やスポーツ誌に寄稿。現在はweb Sportiva、バレーボールマガジンなどで執筆活動を行なっている。『バレーボールスピリット』(そしえて)、『バレーボールダイジェスト』(日本スポーツ企画出版)、『球萌え。』(マガジンハウス)、『全日本女子バレーコンプリートガイド』(JTBパブリッシング)などを企画編集。スポルティーバで西田有志の連載を担当

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