宮下遥が明かす、女子バレー日本代表での中田久美との関係 岡山シーガルズ一筋で引退した理由も語った (3ページ目)

  • 中西美雁●取材・文 text by Nakanishi Mikari


黒鷲旗で優勝したあと、胴上げされる宮下 photo by 坂本清黒鷲旗で優勝したあと、胴上げされる宮下 photo by 坂本清この記事に関連する写真を見る――現役生活の最後の最後に、優勝を成し遂げたことに関して思うことはありましたか?

宮下:黒鷲旗の決勝で勝った直後は、シンプルに大会を戦いきれたこと、優勝できたことの達成感がすごくありましたね。引退する実感はなくて、「ありがとうございます」という気持ちでいっぱいでした。これまでは、勝ちきって大会を終えたことがなかったですから。しばらくして、みんなとの最後の時間、最後のプレーだったんだ......という思いがうわーっと溢れてきました。

――今後の活動に注目しているファンも多いと思いますが、何か決めていることはありますか?

宮下:引退から何カ月か経って、いろいろアドバイスをいただくことも多いです。いろんな道があって、みんな「すごく素敵だな」と思うんですけど、すぐに決めてしまうと、選択肢が狭まってしまうことになるかなと。もうしばらくゆっくりして、今まで自分ができなかったこと、好きな時に好きなところに行って、好きな人たちに会っていろんな話をしながら、今後どうしていこうかを決めようと思います。

 だから今の段階では、「私はこういうことをします」とは言えません。中学生の時からVリーグでプレーするようになったので、ほかに学びたいこともたくさんあります。今の段階でバレーボールに関わることをしようとしても、すぐに限界がきちゃうんじゃないかなって。何かを学ぶには時間は必要だけど、これからの人生も長いので、ゆっくり考えていきたいですね。

(後編:あらためて振り返る現役生活 印象に残った3つのシーン、人生を変えた人とは?>>)

【プロフィール】

■宮下 遥(みやした・はるか)
 
1994年9月1日生まれ、三重県出身。177cm。セッター。中学3年生だった2009年に岡山シーガルズに選手登録され、同年11月にⅤリーグ史上最年少出場記録となる15歳2カ月でデビュー。翌年3月には日本代表の登録メンバーに選ばれ、2016年のリオ五輪では正セッターを務めた。岡山シーガルズひと筋で15年プレーし、2024年4月に現役引退を発表した。

著者プロフィール

  • 中西美雁

    中西美雁 (なかにし・みかり)

    名古屋大学大学院法学研究科修了後、フリーの編集ライターに。1997年よりバレーボールの取材活動を開始し、専門誌やスポーツ誌に寄稿。現在はweb Sportiva、バレーボールマガジンなどで執筆活動を行なっている。『バレーボールスピリット』(そしえて)、『バレーボールダイジェスト』(日本スポーツ企画出版)、『球萌え。』(マガジンハウス)、『全日本女子バレーコンプリートガイド』(JTBパブリッシング)などを企画編集。スポルティーバで西田有志の連載を担当

【写真】日本代表、Vリーグデビュー、優勝時の涙・・・宮下遥フォトギャラリー

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