宮下遥が語る、バレー女子日本代表で竹下佳江と比べられた日々 リオ五輪本番は「記憶が欠け落ちている」 (2ページ目)

  • 中西美雁●取材・文 text by Nakanishi Mikari

――かなり前に、河本監督に宮下さんについて聞いた際、「セッターになったらオリンピックに行けるよ、と言ってスカウトした」と聞きました。

宮下:セッターになったきっかけはよく聞かれますが、そのエピソードは、監督がけっこう"盛って"いるんですよ(笑)。私の記憶では、どの中学校に行くかを決める段階で、シーガルズの練習に参加させてもらった時に監督と話をする時間があって。そのなかで、「やってみたいポジション、ない?」と聞かれたんです。

 それまではスパイカーだったんですが、小学校の時はスパイカー、セッター、レシーバーの3つのポジションしかなかったんです。それで、「この身長でレシーバーはないだろう」という消去法で「セッターをやってみたいです」と言ったら、先生が「おお、いいね!」と。私は体の線が細かったので、スパイカーでは厳しいと思っていたのかもしれません。とにかく、それがセッターを始めることになったきっかけだったと思います。

 そこから、「目標は? 夢は?」という話になったんですが、当時は日本代表に入りたいといったことも考えていませんでした。でも、父は私がすごく情熱を持って夢に向かっていると思っていたと思うので「何も言わなかったら、お父さんに怒られるかも......」と思って。それで瞬時に「オリンピックに行きたい」と答えました。

――空気を読める小学生だったんですね(笑)。

宮下:そうですね(笑)。

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