宮下遥が語る、バレー女子日本代表で竹下佳江と比べられた日々 リオ五輪本番は「記憶が欠け落ちている」 (3ページ目)
【日本代表の正セッターとなってからの苦悩】
――宮下さんはシーガルズでVリーグデビューを飾った翌年の2010年、中学を卒業した直後にシニア代表に抜擢されましたが、ひと際脚光を浴びるようになったのは、2012年のロンドン五輪のあとでした。竹下佳江さんが引退し、その後継者として注目を集めましたが、当時のことを覚えていますか?
宮下:まだまだセッターとしての経験が少ないなかで、「できなくて当たり前だ」と頭ではわかっていましたが、竹下さんと比べられる声が、聞きたくなくても見たくなくても、嫌でも飛び込んできてしまうじゃないですか。自分が前向きでいられる時には跳ね返すことができていたんですが、試合に負けたあとなどは、そういった言葉が奥まで入ってきてしまう。
簡単にうまくいくはずがないのに、なんで(正セッターになって)1、2カ月で比べられなきゃいけないんだろうと。「ダメだ」って言われるのも当たり前なんですが、言われ続けると「私よりうまいセッターはいっぱいいるのに......」とか、ネガティブなことばかり考えてしまって。キツい経験でしたが、今思えば、それも貴重な経験でしたね。
――それでも、2016年のリオ五輪には正セッターとして出場しました。日本女子は5位で大会を終えましたが、宮下さんにとって、どういう経験でしたか?
宮下:リオですか......。リオ五輪を経験した選手は、当時の記憶を消しているんじゃないかと思います。実際に、リオについての印象を語る方は少ないですよね。きっと、なかったことになってるんだなって(苦笑)。
私自身、リオ五輪の本番のことを忘れるぐらい、最終予選で五輪の切符を取ることのほうが壮絶すぎました。切符を取ったあとは、達成感が襲いかかってくるような感じで、五輪本番はこれからなのに余力が全然なかった。どれだけ前に進もうと思っても、スタートラインが遠くて。「全然、リオ五輪で戦う準備ができてない」という自覚があるなかで開幕を迎えてしまいました。どんなプレーをしたのか、選手同士でどんな話をしたか、といった記憶が抜け落ちている感覚です。
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