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男子バレー大塚達宣が「控えメンバー」として見た東京五輪。「悔しさもあるけど、だからこそ『ここで終わりじゃない』と思えた」 (2ページ目)

  • 中西美雁●取材・文 text by Nakanishi Mikari
  • photo by Hino Chizuru

東京五輪は控えも「ここで終わりじゃない」

――コロナ禍の影響で、シニア代表1年目は海外試合を含めて実戦を経験することができませんでした。2年目の去年は五輪前のネーションズリーグで出場機会が多かったですが、手応えはありましたか?

「昨年は大学でも試合が少なかったので、少し戸惑いはありましたね。ネーションズリーグは本来のポジションではないオポジットで出ることもあったんですけど、試合に出してもらえる機会が少しでも増えるなら問題ありませんでした。逆にプレーの幅を広げられますし、『こういうことできるんだぞ』というアピールにもなる。すべてが自分にとってプラスになると思っていました」

――そこでの活躍もあり、オリンピックに出場する12名のメンバーに残りました。

「もちろん嬉しかったですが、それ以上に、選ばれなかった選手たちの分まで戦わないといけないと思いました。最初に代表登録メンバーに入った時や、高校時代に春高に出た時なども『代表としてプレーする』という気持ちはありましたが、より責任の重さを感じましたね」

――本番の東京五輪では、イタリア戦で大きくリードされた場面での出場のみとなりました。初出場した時、大会を終えたあとの気持ちはどうでしたか?

「イタリア戦は、石川(祐希)さんと交代でしたが、うまくやろうとは思っていませんでした。自分のよさを出して雰囲気を作って、悪い流れを変えようとだけ考えていたので、あまり硬くもなりませんでした。想定していた自分の役割を、あの場面では全うできたんじゃないかと思っています。

 大会を通して出場機会が少なかった悔しさもありますが、だからこそ、『ここで終わりじゃない。パリ五輪に向けてもう一度頑張ろう』と思うことができました。僕の選手としての目標は、オリンピックに出ることではなく、"限界の自分"を追い求めること。オリンピックの経験を、その後の練習やプレーに生かすことができていると思います」

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