男子バレー大塚達宣が「控えメンバー」として見た東京五輪。「悔しさもあるけど、だからこそ『ここで終わりじゃない』と思えた」
大塚達宣選手インタビュー 後編
(前編:Vリーグの名門・パナソニックで得た技術と自信>>)
パナソニックパンサーズで現役大学生Vリーガーとして大活躍した大塚達宣。今年度も日本代表メンバーに名を連ね、国際大会での活躍が期待されている。
インタビュー後編は、出場機会に恵まれなかった東京五輪の振り返りや、そのなかでの髙橋藍や清水邦広とのやりとり、今年度の代表での抱負などを聞いた。
東京五輪を戦った(左から)西田有志、髙橋藍、大塚この記事に関連する写真を見る***
――バレーを始めたきっかけから聞かせてください。
「小学3年生で『何かスポーツがしたいな』と思い始めた時に、たまたま家の近くにバレーボールチームがあったんです。それがパナソニックパンサーズの下部組織、パンサーズジュニアで、楽しくて続けることができました。中学校は地元(大阪府枚方市)に進学しましたが、引き続きパンサーズジュニアで活動していました」
――その後、京都の名門・洛南高校に入って輝かしい成績を収めることになります。
「高校は勉強もバレーも本気で打ち込める高校を選びました。どちらも3年間、頑張ってやりきれたと思います。洛南高校ではいい指導者と仲間に出会えて、いい環境で成長することができました」
――ユース日本代表にも選ばれ、早稲田大の先輩である宮浦健人選手(現ジェイテクトSTINGS)とも一緒にアジア選手権で金メダル、世界選手権で銅メダルを獲得しました。
「将来、日本代表としてオリンピックや世界選手権の舞台に立ちたいという気持ちはずっと持っていましたが、アンダーカテゴリーでの経験もあって、それがどんどん近づいてきてると感じました。遠い夢だったのが、段階を踏んで少しずつ近づいてきたというか。ちょっとずつ進歩していることを感じていました」
――2020年、大学2年時にシニア代表に選ばれた時の気持ちは?
「2019年のW杯をずっとテレビで見ていて『すごいな』と思っていたので、自分がそういうすごい人たちと一緒にやらせてもらえるチャンスがきたことは驚きでした。でも、やるからには自分のいいところをアピールしようとも考えていましたね」
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