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【男子バレー】清水邦広「一番に思い出すのは、全日本の坂道ダッシュ」 (4ページ目)

  • 中西美雁●文 text by Nakanishi Mikari
  • 村上庄吾●写真 photo by Murakami Shogo

――荻野さんは当時37歳でしたよね。清水選手より、16歳も上!

清水 もちろんスピードは若手より落ちるんですけど、最後列になってもちゃんと最後まで走り抜いていましたからね。毎日毎日、あれだけされたら、自分ら若手がやらないわけにいかないじゃないですか。

――芦別合宿は取材で行きましたが、当時、携帯電話の電波が入らなくて困った記憶があります。

清水 そうそう、携帯の電波が入らなくて、公衆電話にみんな並んでいました。周りにコンビニもなくて......。体育館と宿舎と坂が隣接していたから、そこだけで1日が完結して、本当に「修行」「山ごもり」っていう感じでした。

――そんな苦しい合宿の中で、楽しみはありましたか?

清水 宿舎に温泉があったので、みんなで風呂につかるのが一日の終わりの楽しみでした。それと、宿舎のごはんはすごくおいしくて、楽しみでした。でも、あの頃はとにかくいっぱい量を食べろと言われていて、暑いし、バテてるし、食欲はないので、そこはちょっと困ったかな。まだ、自分はそこそこ食べられたので良かったんですけど、中には食が細くて、昼休みの間中ずっとごはんを食べ続けている人もいました。子供の頃、給食を残すと昼休みから掃除の時間まで使って、居残りで食べさせられるじゃないですか。まさにあんな感じです。
 芦別は市全体で、バレーを応援してくれていたので、練習にも市民の方が見に来てくださったりして、ありがたかったですね。あとは合宿でいろんな地方を訪れていますが、そこの特産品を差し入れしていただけるので、それは楽しみですね。

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