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【男子バレー】清水邦広「一番に思い出すのは、全日本の坂道ダッシュ」 (2ページ目)

  • 中西美雁●文 text by Nakanishi Mikari
  • 村上庄吾●写真 photo by Murakami Shogo

――こっそり飲んだりはしなかったのですか?

清水 いや、監督の先生がめちゃくちゃ怖かったんで、バレたときのことを考えたら、こっそりとか絶対にできなかったです。先生は日体大卒の方だったので、もう本当に厳しかった。プレーのことだけじゃなくて、挨拶とか、勉強もできなきゃだめだ!という方針で。  
 うちの中学(福井県美山中学校)は当時、毎週小テストがありまして。そこで不合格になると、監督のところに報告に行かないといけなくて、めっちゃ怒られるんですよ。怒られたうえに、体育館の2階のギャラリーに机を持って行って、部活の間、そこで勉強しないといけないから......ボールを全然触らせてもらえなくて。それを回避するために、みんな必死で勉強しましたね。だから、現役を引退してからは、勉強の成績はガタ落ちしました(笑)。

――部活だけでなく、生活や勉強もきちんとしなければならない、という方針の監督だったのですね。

清水 自分、若気の至りで中学の時、一回だけ眉毛をすごく細くしたことがあるんですよ。全校朝礼の後、バレー部だけで集合するんですけど、その時に「おい清水、ちょっと前に出ろ」って、監督に問答無用でめっちゃ怒られました。いや、参りました。
 あと、恥ずかしいといえば、下級生の時は「声出し」をしないといけないんです。これも2階のギャラリーから「頑張れー!」とか、大声で叫ぶんです。体育館には女子バレー部もいるし、他の部活の人もいるし、恥ずかしくてなかなか声が出せないんですよ。ちゃんと声が出せたやつから「おい、お前はもう降りてきていいぞ」って言われるんですけど、自分はいっつも最後まで2階に残っていましたね(笑)。

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