石井琢朗&プロテニスプレーヤー石井さやか・父娘対談《後編》「いつまで経っても『お父さんの娘』の立場じゃ悔しいじゃないですか」 (4ページ目)

  • 内田暁●取材・文 text by Uchida Akatsuki

【無言のまま2時間、ずっとにらみ合った】

琢朗「お母ちゃんのほうが、どちらかと言ったら、父ちゃんより厳しいよな」

さやか「うーん、どっちもどっち」

── では逆に、お父さんに言われたことで今、役立っているなと感じることや、怒られた記憶などは?

さやか「なにか、捻り出します(笑)。......やっぱりメンタル面やアスリートとしての考え方は、昔はうるさいなーと思ったりしたけど、今、プロになってからは役に立っているかなと。

 私は弱気になったり、ネガティブに考えやすいところがあるんです。その時に『勝たなきゃ』ではなく『勝ってやる』と考えるとか......そういうことは小さい頃からよく言われましたね。

 試合後に怒られた記憶は、一回しかないんですけれど......山梨で」

琢朗「ハハハハ!」

さやか「最悪でしたよ。小学生の関東大会の時で。私がアップしないで入った試合で、負けたんですよ。その試合では集中力も切れちゃって、ちょっとラケットを......」

琢朗「投げちゃったんだよね。そこは、約束してたんですよ。ちゃんと試合前にアップする、ラケットで叩いたりしない。その約束を破ったら怒るよと言っていたので、有言実行でやっただけです。ラケットをバッグに入れて、『ずっと持ち歩け、この気持ちを忘れるな』って。山梨では、2時間の説教もあったな......」

さやか「あー! 今、思い出した。嫌な思い出です」

琢朗「こちらの質問にさやかが答えないので、無言のまま、2時間、ふたりでずーっとにらみ合って」

さやか「私もぜんぜん話さないし、こっち(琢朗氏)も頑固なので『もういいよ』とか言わないから、ずーっと」

琢朗「僕も、『いいよ別に、このままメシ食わなくても』ってなって。2時間、無言で対面。変なところ、似てるんですよね。頑固で負けず嫌いで。でも、それが今、生きているのかな?(笑)」

   ※   ※   ※   ※   ※

 2022年3月、石井さやかは横浜市内で会見を開き、プロ転向を表明した。

 父も同席したその席で、「これまでは『石井琢朗の娘がテニスをやっている』と言われたけれど、これからは、『石井さやかのお父さんはプロ野球選手だった』となるようにがんばります」と宣言する。その言葉の、真意とは......?

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