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石井琢朗&プロテニスプレーヤー石井さやか・父娘対談《後編》「いつまで経っても『お父さんの娘』の立場じゃ悔しいじゃないですか」 (3ページ目)

  • 内田暁●取材・文 text by Uchida Akatsuki

【僕自身が勝負の世界で生きてきたので...】

琢朗「今は、そのありがたさを実感していると思います。な?」

さやか「はーい」

琢朗「ボールを打つのは大好きなので、何時間でもやっているんですけれどね。野球でも、みんなそうなんですよ。打つのは楽しいし大好きだけれど、トレーニングを進んでやりたがる選手は、そうそういないです、若いうちは。でも、さやかも今になって、やっとその大切さがわかってきてくれたんじゃないかなって思います」

はにかみながら父と話す石井さやか選手 photo by Sano Mikiはにかみながら父と話す石井さやか選手 photo by Sano Mikiこの記事に関連する写真を見る── お話をうかがっていると、琢朗さんはかなり厳しい目でさやかさんを見ておられたように感じます。あまり褒めることはなかったのでしょうか?

琢朗「なかったです。まだないです。周りの人は『この子は才能あるな』とか『さすがタクの娘だ』と言ってくれるんですが、僕はそういうふうには言いませんでした。

 いや、本当は思っているんです。でも、そこは思っていても、言わない。本人も今、プロになって実感していると思うんですが、やっぱり上には上がいる世界なので、満足した時点で成長が止まってしまう。

 はっきり言って、この間のプロ初優勝も、うれしいんです。ずっと試合のライブスコアを見ていたし、さやかの結果に一喜一憂している。でも、そこで一緒に喜んではいけないなと思ってもいる。それは僕自身が、勝負の世界で生きてきて、一番実感していることですから。優勝しても、そこで終わりじゃない。現役である以上は、さやかにも常に上を目指してもらいたいので」

── さやかさんは子どもの頃も含め、お父さんに褒めてもらえてうれしかった思い出などはありますか?

さやか「......いや、あんまり思い出せない」

琢朗「それこそ、ジュニアの時の大阪じゃない? 初めてさやかから、泣きながら電話かけてきた時」

さやか「ああ......それは14歳の時に、千葉で全国選抜ジュニア優勝した時。あれが初めての全国大会優勝だったので。

 たしかにあの時が、親も一番喜んでくれた気がします。でも、そんなに褒められた記憶がないですね。両親とも、おめでとうとは言ってくれるけれど、そこまで......という感じだったので」

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