石井琢朗&プロテニスプレーヤー石井さやか・父娘対談《後編》「いつまで経っても『お父さんの娘』の立場じゃ悔しいじゃないですか」
石井琢朗&石井さやか「父娘」対談(後編)
◆石井琢朗&石井さやか対談・前編>>「男の子だったら間違いなく野球選手になったんじゃないかな」
「それこそ、まだ覚悟を決めさせる年齢ではなかったですけれどね。娘には、そこの選択をさせてしまった」
10年近くの日を振り返り、石井琢朗が、ふとこぼした。
横浜ベイスターズ(現・横浜DeNAベイスターズ)の切り込み隊長として活躍した琢朗氏は、1998年の同球団38年ぶりリーグ優勝・日本一に貢献。2006年に通算2000本安打も達成した「名球会」メンバーであり、現在は横浜DeNAのコーチにして、プロテニスプレーヤーの父でもある。
娘の石井さやか(ユニバレオ)は、現在18歳のプロ2年生。ジュニア時代から世界を舞台に活躍し、今年4月に大阪市で開催された国際大会で、プロ初タイトルを掴み取った。
プロアスリートの大先輩でもある父は、娘に何を伝えてきたのか? そして娘は、父から何を学び、今、何を思うのか?
競技の異なる「ふたりのアスリート」に、ともに歩んだ日々を語りあってもらった。
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日本テニスの聖地「有明コロシアム」でスペシャル対談 photo by Sano Mikiこの記事に関連する写真を見る── さやかさんは、いつ頃から本格的にプロを目指すと決断したのですか?
さやか「小学校から中学に上がる時に、テニスを真剣にやるか、学校にちゃんと行くかを選ぶことになり、私は海外遠征にも行ってがんばりたかったので、テニスを選んだ感じでした。それが覚悟かというと、それは違う気もするんですが......。
中学から高校に上がる時には、プロになりたいというのはずっと思っていたことだし、大人の国際大会も本格的に回りたかった。なので、テニスに集中するために通信制の高校を選びました」
── 琢朗さんは、さやかさんの試合や練習はよく見に行かれていたんですか?
琢朗「そうですね、さやかがジュニアの時は時間が許すかぎり見に行っていたし、オフシーズンはほぼ、さやかと一緒という感じでした。僕はテニスは全然できないんですけれど、やはりアスリートの視点では見てしまいますよね。すごく過酷なスポーツだなと思いました、テニスは。
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著者プロフィール
内田 暁 (うちだ・あかつき)
編集プロダクション勤務を経てフリーランスに。2008年頃からテニスを追いはじめ、年の半分ほどは海外取材。著書に『錦織圭 リターンゲーム』(学研プラス)、『勝てる脳、負ける脳』(集英社)など。