石川祐希が振り返る、ペルージャで感じた「力不足」と出番が減ったことでの新たな気づき
石川祐希のAttack The World vol. 13 前編
石川祐希は、イタリア・セリエAのペルージャで1年目のシーズンを終えた。リーグ覇者として臨んだチームは、リーグはプレーオフ準決勝で敗れて3位に終わったものの、チーム、自身ともに初となる欧州チャンピオンズリーグ(欧州CL)制覇を果たした。
石川が「バレーボール極めてきます」と宣言し、"常勝軍団"で過ごした初めてのシーズン。スタメン、時には途中出場と多くの役割を求められたが、それを経験できたことは、紛れもなく石川のバレーボーラーとしての幅を広げるものだった。この1年間で、石川が見た景色とは。
イタリア・セリエAの強豪ペルージャでプレーした石川祐希 photo by ZUMA Press/アフロこの記事に関連する写真を見る
【プレーオフ期間中に感じた「力不足」】
――このシーズンを振り返って、どんな時間になりましたか?
「いろいろな学びがあり、これまでで最も充実したシーズンでした。あと、他のどのクラブよりもハードに練習したと思います」
――チームで求められる役割も、これまでとは変わったと思います。
「大事な試合に出たり、(他の選手と試合ごとに)ローテーションしたり、プレーオフの準々決勝のようにあまり出なかったり......。常にシチュエーションが変化していきましたが、それも充実感がありました。さまざまな場面に対応しなければいけないので、常に"同じ自分"ではいられません。うまくいく時、うまくいかない時もあって難しいシーズンではありましたが、今までになかった経験だったので、それに対応することでより成長できたと思います」
――これまでのチームでは、基本的にレギュラーとしての役割を期待されていましたが、今季はチーム内での争いに勝つことが必要でした。今までと立場や役割が違うことで、難しい部分もあったのではないでしょうか。
「現在の立ち位置に関して不満はまったくありません。それを理解したうえで移籍先にペルージャを選びましたから。スタメン、控えの時もあるし、味方がケガをして急遽出ることもある。そのすべてに対応するのはかなり難しかったです。やはり試合に出てないと、試合の感覚はつかめないんだとあらためて感じましたね。
プレーオフの準々決勝は出場せず、準決勝のチビタノーバ戦も2戦目までは出場時間が短かったですが、3戦目以降からチームの状態が悪くなって出番が増えました。試合に出てない期間が1カ月くらいあったなかで、突然試合に出て、すぐにいいプレーをするのは難しかった。それに対応できなかった悔しさもあります。自分に求められていた役割は、突然試合に出ても結果を出すことだったので、できなかったのは自分の力不足。それが、プレーオフ期間中に感じたことですね」
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著者プロフィール
柄谷雅紀 (からや・まさき)
スポーツ記者、ライター。1985年生まれ、大阪府出身。筑波大男子バレーボール部で全日本大学選手権など多くの大会で優勝した。卒業後の2008年から大手新聞社で事件や事故、裁判の取材を経験。転職した2013年からスポーツの取材に携わる。2018年平昌五輪、2021年東京五輪、2022年北京五輪を始め、多くの競技を現地で取材している。@masaki_karaya
石川祐希 (いしかわ・ゆうき)
1995年12月11日生まれ。愛知県岡崎市出身。星城高校ではエースとしてチームを牽引し、公式戦で99連勝を達成。2012年と13年にインターハイ、国体、春高バレーで優勝し、星城高を史上初となる2年連続での高校3冠に導いた。