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「ラグビー界の中田英寿」岩渕健輔は誰よりも世界を見ていた セカンドキャリアも輝かしい文武両道

  • 斉藤健仁●取材・文 text by Saito Kenji

語り継がれる日本ラグビーの「レガシー」たち
【第35回】岩渕健輔
(青山学院高→青山学院大→神戸製鋼/ケンブリッジ大→
サラセンズ→福岡サニックス→コロミエ→セコム)

 ラグビーの魅力に一度でもハマると、もう抜け出せない。憧れたラガーマンのプレーは、ずっと鮮明に覚えている。だから、ファンは皆、語り継ぎたくなる。

 連載35回目は、1990年代後半に閃きのあるプレーで注目を集め、「ファンタジスタ」と称されたSO岩渕健輔(いわぶち・けんすけ)を紹介する。日本ラグビーの視線が国内にとどまるなか、いち早く海外に目を向けて飛び立った。引退後も日本ラグビー協会の要職に就いて、世界と戦い続けている。

※ポジションの略称=HO(フッカー)、PR(プロップ)、LO(ロック)、FL(フランカー)、No.8(ナンバーエイト)、SH(スクラムハーフ)、SO(スタンドオフ)、CTB(センター)、WTB(ウイング)、FB(フルバック)

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岩渕健輔/1975年12月30日生まれ、東京都出身 photo by AFLO岩渕健輔/1975年12月30日生まれ、東京都出身 photo by AFLOこの記事に関連する写真を見る 野球界では野茂英雄、サッカー界では三浦知良──世界への道を切り開いた選手のひとりとして、ラグビー界では「岩渕健輔」を挙げても異論はないだろう。

 身長178cmと決して大柄ではないものの、想像力に長けたパスと、見ている者をワクワクさせるステップとランで、1990年代後半に人気を博した司令塔だ。若くして世界に目を向けて海外でプレーし、ファンの間では「ラグビー界の中田英寿」とも呼ばれていた。

 岩渕が「いつか海外でプレーしたい」と思ったのは、家族旅行で香港を訪れた小学5年の時。現地で7人制ラグビーの大会「香港セブンズ」を観戦し、衝撃を受けたのがきっかけだった。

 岩渕がラグビーを始めたのは小学3年時。青山学院初等部のラグビー部「コアラーズ」で競技人生をスタートさせた。「ボールを持ちたがりだった」ため、入部当初からSOのポジションを選んだという。

 その後も付属の青山学院で楕円球を追いかけ、高校2年時は東京都予選で準決勝、3年時は決勝まで駒を進める。しかし最後は、ともに國學院久我山に敗れて花園出場の夢は叶わなかった。プレーイングマネージャー的なポジションでチームを牽引した岩渕は、今でも「もう少しうまくやっていれば、國學院久我山に勝てたのでは......」と思うことがあるという。

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著者プロフィール

  • 斉藤健仁

    斉藤健仁 (さいとう・けんじ)

    スポーツライター。 1975年4月27日生まれ、千葉県柏市育ち。2000年からラグビーとサッカーを中心に取材・執筆。ラグビーW杯は2003年から5回連続取材中。主な著書に『ラグビー『観戦力』が高まる』『世界のサッカーエンブレム完全解読ブック』など多数。

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