【部活やろうぜ!】堀江翔太がFWなのにキックがうまいのは「めっちゃ金がかかる」私立をあきらめ公立に進学したから (3ページ目)
【ヤンキーも一緒にやって更生】
上級生になった堀江は、現在の穏やかなキャラクターからは想像できないほど、後輩を叱り飛ばすタイプの先輩だったという。
「後輩がミスしたら『何しとんじゃ!』って、めちゃくちゃ怒ってました。実は今もあんまり変わってないかもしれないですね。
ただ、その後いろんな経験をして、言い方に気をつけるようになりましたし、ミスしたくてミスしたわけやないってことを理解して『なんでミスしたか』っていう方向に目を向け、『どうしてそうなったか原因を知りたい』と考えるようになりました。コーチの立場になった今は、なおさらそうですね」
そんな島本高校ラグビー部の顔ぶれはさまざまで、堀江のようにトップ選手への階段を駆け上る部員もいれば、必ずしもそうではない部員もいたという。
「1学年10人ぐらい、トータル30人おったかなというくらい(練習ができる)ギリギリの部員数でした。僕らの代は11人で、ラグビー未経験者がふたり、ヤンキーがふたり(笑)。でも、一緒にやっていくと更生していく感じがあって、やっぱラグビーってすごいなって思いましたね。
そのヤンキーのひとりが1年の時に練習に来なくなったんですけど、みんなで家に行って『一緒にやろうぜ』って手紙を置いたらまた部活に来るようになって、最終的には『そいつがおってくれて助かった』って思えた場面がたくさんありました。もうひとりのヤンキーも最初は素人でしたけど、CTBでオール大阪に選ばれるくらいの選手になりました」
複数の未経験者がいたチームながら、3年時は花園まであと一歩まで迫る。
「(花園の大阪第二地区予選)準決勝で工大(大阪工大高/現・常翔学園高)を倒して決勝まで行きました(準決勝は27-12。決勝は東海大仰星高/現・東海大仰星大阪高に12-36で敗戦)。やっぱりみんなラグビーを楽しんでたんでしょうね。それが一番大きかったですよ。
オレら素人やから、なんていう意識はもうなかったですし、みんな純粋に『どうやってうまくなるか』、『どうやって相手の私立高校を食っていくか』みたいなことに取り組んでました」
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