李承信「韓国籍だが、日本人でも韓国人でもない」 在日コリアンのためにもワールドカップは「出場しないといけない」

  • 斉藤健仁●取材・文 text by Saito Kenji
  • 説田浩之●撮影 photo by Setsuda Hiroyuki

ラグビーワールドカップ2023「Road to France」<09>
李承信(コベルコ神戸スティーラーズ)後編

◆李承信・前編>>大学中退→バイト生活からラグビー日本代表へ

 コベルコ神戸スティーラーズに所属するSO(スタンドオフ)李承信(リ・スンシン)は、2001年に兵庫県神戸市で生まれた韓国籍の在日3世である。父とふたりの兄もラグビー選手として活躍し、自身も大阪朝鮮高級学校を「花園」に導くなど、まさに在日コリアン期待の星だ。

 そんな彼がどのような幼少期を過ごし、朝鮮学校卒業者として初めて日本代表キャップを獲得するまでに至ったのか──。小・中・高校の歩み、そしてワールドカップへの思いを語る。

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李承信●2001年1月13日生まれ・兵庫県神戸市出身李承信●2001年1月13日生まれ・兵庫県神戸市出身この記事に関連する写真を見る── 李選手がラグビーを始めたきっかけを教えてもらえますか?

「大阪朝鮮高級学校(大阪朝高)でラグビーをしていた父やふたりの兄の影響で、兵庫県ラグビースクールで4歳から始めました。根塚兄弟(兄・聖冴/三重ホンダヒート/SH、弟・洸雅/クボタスピアーズ船橋・東京ベイ/WTB)とも地元が近いので、小学生くらいから知り合いです。

 小・中学校のクラブ活動では、サッカーもやっていました。ただ、どちらかというとラグビーのほうを優先していましたね」

── ラグビーだけでなく、サッカーでも10番をつけていたそうですね。

「はい、サッカーではフォワードを任されていました。あんまりそういうタイプではなかったんですけど(苦笑)」

── 小学校6年生の時、お母さまが病気で亡くなるというつらい経験もされました。

「大変でしたけど、自分はまだ小さくて、物事をしっかり把握できていなかった部分もありました。家族や親戚など周りの方に支えてもらって、そこはうまく乗り越えられたかなと思います。でも、ラグビーをしていたらそういうつらさや悲しい感情を忘れることができたので、ラグビー自体が助けてくれたところもあると思います」

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著者プロフィール

  • 斉藤健仁

    斉藤健仁 (さいとう・けんじ)

    スポーツライター。 1975年4月27日生まれ、千葉県柏市育ち。2000年からラグビーとサッカーを中心に取材・執筆。ラグビーW杯は2003年から5回連続取材中。主な著書に『ラグビー『観戦力』が高まる』『世界のサッカーエンブレム完全解読ブック』など多数。

【写真・画像】ラグビー界の女神・桑井亜乃さんの撮り下ろしフォトギャラリー(写真27枚)

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