李承信「韓国籍だが、日本人でも韓国人でもない」 在日コリアンのためにもワールドカップは「出場しないといけない」 (2ページ目)

  • 斉藤健仁●取材・文 text by Saito Kenji
  • 説田浩之●撮影 photo by Setsuda Hiroyuki

── 中学校時代は兵庫県選抜に選ばれて、チームの初優勝にも貢献しました。兵庫県出身の李選手にとって、子どもの頃の一番のライバルは誰ですか?

「関西学院大でプレーしていた本山峻也(マツダスカイアクティブズ広島/CTB)ですね。幼稚園からずっとふたりで切磋琢磨して頑張っていました。

 当時から日本の友達はすごく多かったですし、周りの人たちも受け入れてくれました。大阪には在日の方も多かったので、不自由を感じたことはないです。

 自分自身、常にラグビーに助けられてきました。自分を一番表現できるのがラグビーなので、日本代表になったことでいろんな人にいい影響力を与えたいと思っています。日本代表として招集されると、日本人選手だけでなく外国籍選手のいろんな文化やルーツにもつながれるので、そういうところは本当にラグビーのいいところだなと思っています」

── 高校では地元のラグビー強豪校ではなく、父や兄ふたりと同じく大阪・東大阪市にある大阪朝高に進学しました。

「(母親が亡くなって)父親がひとりだったというところも考え、地元の高校に進学しようと悩んだ時もありました。ですが、家族から『自分の好きなようにしていい』と言われて、自身の決断を優先して(大阪)朝高に決めました」

── 大阪朝高に進学した最大の理由は?

「兄(李承爀/り・すんひょ/三重ホンダヒート/HO)もいましたし、朝高の一員として花園に出たいという思いが一番強かったですね。朝5時半に起きて通っていました。

 朝高は有力選手をリクルートできるような環境ではないですけど、そういう環境から外れているところに価値というかロマンを感じた部分もありました。そして高校2年時には春の選抜大会、3年生の時には花園に出場することができました」

── 当時、憧れていた選手は?

「当時はCTB(センター)でプレーしていたので、ニコラス ライアンやマレ・サウ(ともに元日本代表)に憧れていました。自分とは全然タイプが違いますが、当時はサントリーサンゴリアスが好きでした。今は違いますけどね(笑)」

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