世界一になったセパタクロー日本代表 「サーカス集団」から脱却し、相手を上回るために何をしてきたのか?
セパタクロー男子日本代表
世界一への道 前編
セパタクローの男子日本代表が快挙を遂げた。7月の「第38回 KINGS CUP 世界選手権大会」で金メダルを獲得。日本にセパタクローが伝わって36年、4年に一度のアジア大会を含めた主要国際大会で、初めて世界一の称号を勝ち取った。
「空中の格闘技」とも呼ばれるセパタクロー。写真は日本代表のアタッカー、市川遥太 photo by Tsutomu Takasuこの記事に関連する写真を見る
ベトナムとの決勝戦を日本から特別な思いで見ていた男がいる。日本セパタクロー協会の矢野順也だ。50歳。美しいローリングアタックの使い手は、2002年の釜山アジア大会が終わると27歳の若さで一線を退いた。その後、監督として女子の日本代表を率いるなど、強化と育成に尽力。現在は常務理事兼事務局長として、大会の運営や普及、広報に至るまで幅広く奔走している。
列島が酷暑に襲われた9月、日本代表の強化合宿があると聞き、埼玉県内の小学校を訪ねた。シャン、シャン、シャン――。空調がない茹だる体育館に、プラスティック製のボールを蹴る乾いた音が響く。
金メダルの価値を問うた。しばらくの沈黙のあと、矢野は丁寧に言葉を紡ぎ出した。
「選手が頑張った。それが事実です。むしろ、金メダルの要因はそれだけでいい。ただ、36年でさまざまな積み重ねもありました。細かくて薄い積み重ねが......。そのなかには、経理といった細かい業務など、目に見えないところを担ってくれた人もいます。その人たちにとって、金メダルに勝る喜びはないと思うんです。目立たない業務を担う人たちにとっての原動力というか、一番のモチベーションみたいなものを、今回の金メダルが示してくれた。そんなふうに考えるようになりました」
気が遠くなるほどの時間をかけて得られた経験と、そこに裏打ちされた組織力。名もなき功労者によって積み上げられたセパタクローの歴史に、とびきり輝く1ページが刻まれた。
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