バスケットボール誕生から132年 聖地でたどった「最初の試合」と知られざる日本人プレーヤーの物語 (4ページ目)
石川源三郎が残したスケッチ photo by Maruyama Megumiこの記事に関連する写真を見る 石川のスケッチがのちのバスケットボールに与えた影響を尋ねると、モンソーさんは「あくまで私の意見ですが、このゲームが人々に受け入れられる助けになったと思う。ルールの最初の出版物でビジュアルが使用されたのは意図的なものであり、ゲームの内容を理解してもらうためだったと思う」と答えてくれた。
バスケットボールのルールが最初に出版されたときに掲載された石川のスケッチは、現在のバスケットボールの世界的な隆盛につながる第一歩だと言える。ちなみにモンソーさんの求めに応じて、丸山さんは1923年ごろに撮影された祖父の写真をスティッツァーYMCAセンターに寄贈した。
石川はその後、ウィスコンシン大学で学んだあと、日本に帰国。その後はビジネスの道を歩み、バスケットボールに関わることはなかった。
日本にバスケットボールを導入したのは、石川のあとに同じ国際YMCAトレーニングスクールで学んだ大森兵蔵だったが、バスケットボールが考案され、最初にプレーした選手のなかに石川源三郎という日本人がいて、バスケットボールがどんな競技かひと目でわかるスケッチを書き残したことは、もっと世に知られてもいいのではないか。
スプリングフィールド・カレッジは、今や世界中で人気スポーツとなったバスケットボールを生み出した国際YMCAトレーニングスクールの後身の大学としては、意外に感じるほど、バスケットボールの扱いは地味に感じられた。
ネイスミスがバスケットボールを考案し、石川もプレーした1891年12月21日の最初の試合が行なわれたのは、当時、スプリングフィールド市内の別の場所にあったYMCA関連施設だったとのこと。カレッジのキャンパスの広い芝生に、ネイスミスの銅像がぽつんと置かれていたのが印象的だった。
著者プロフィール
山﨑惠司 (やまざき・えいじ)
1955年生まれ、大阪府出身。1979年共同通信社に運動記者として入社。1993年から約3年間、ニューヨーク支局勤務。プロ野球を中心に、米プロスポーツなど多種多様なスポーツイベントの取材経験を持つ。2025年6月退社、70歳。
フォトギャラリーを見る
4 / 4










