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バスケットボール誕生から132年 聖地でたどった「最初の試合」と知られざる日本人プレーヤーの物語 (3ページ目)

  • 山﨑恵司●文 text by Yamazaki Eiji

バスケットボールを考案したジェームズ・ネイスミス photo by Maruyama Megumiバスケットボールを考案したジェームズ・ネイスミス photo by Maruyama Megumiこの記事に関連する写真を見る 国際YMCAトレーニングスクールに勤めていたネイスミスは、上司のルーサー・グリックから、冬に屋内で体を動かせるスポーツを考案するように求められ、考え出したのがバスケットボールだった。

 その当時、この国際YMCAトレーニングスクールで学んでいた学生が、1チーム9人ずつに分かれて対戦。その18人全員が「最初のチーム」として殿堂入りしている。じつはこの中に石川源三郎という日本人がいたのだ。

 国際YMCAトレーニングスクールは現在、スプリングフィールド・カレッジ(以下カレッジ)という大学になっていて、殿堂から車で5分ほどのところにある。

 じつは今回の訪問には、ニューヨーク在住のフォトグラファー、丸山恵さんが同行してくれたのだが、丸山さんは石川源三郎の孫娘。彼女の祖父の足跡をたどるのが目的でもあった。

 カレッジに着いて向かったのはスティッツァーYMCAセンター。1894年に開館し、カレッジで最古の建物であるジャッド体育館の中がセンターになっている。YMCAの歴史に関わる文献や史料を収集した「YMCAの殿堂」では、ネイスミスの等身大の写真などが展示されていた。

 ジェフ・モンソーさんは、ここで文献や史料を収集、管理、研究するアーキビストという仕事をしている。アポなしでの訪問だったが、快く、研究室に入れてくれて、初期のルールブックなど貴重な資料を見せてくれた。

 石川は絵の才能があったようで、バスケットボールの試合のスケッチを書き残した。このスケッチは、バスケットボールが誕生した当時の様子を伝える数少ないビジュアル資料で、モンソーさんが見せてくれた複数の古書にも掲載されていた。

【最初のルールを彩った一枚のスケッチ】

 帰国後、モンソーさんにメールで問い合わせると、石川が描いたバスケットボールのスケッチは、「最初のルールが掲載された1892年1月15日発行の『トライアングル・マガジン』誌と、1892年後半に発行された最初の単独ルールブック、それに1893年のルールブックでも使用された」とのことなので、最初の試合が行なわれて1カ月もしないうちにルールとともに出版されたことになる。

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