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NBA伝説の名選手:ジェイソン・ウィリアムズ  予測至難なプレーでファンを魅了した「コート上の魔術師」 (2ページ目)

  • 秋山裕之●文 text by Akiyama Hiroyuki

【グリズリーズで変化を遂げヒートで頂点に】

 キングスは2001年6月に2対2のトレードを断行してウィリアムズらを手放し、堅実さがウリのPGマイク・ビビーらを獲得。ウィリアムズは2001-02シーズンから本拠地をバンクーバーからメンフィスへ移転するグリズリーズに移籍することになった。

 ウィリアムズは新天地で先発PGとして自己最高級の成績を残すも、チームはウェスト下位へ低迷。ただ、2002-03シーズン序盤にヒュービー・ブラウンHCが指揮官に就任すると徐々にチームが変わり始めた。キングス時代も含めて、シュートセレクションに課題を抱え、成功率が低くても関係なく3ポイントを乱発してきたウィリアムズも変化の兆しを見せていく。

 ブラウンの下、グリズリーズは2003-04シーズンに50勝32敗(勝率61.0%)を残してチーム史上初のプレーオフ進出。パウ・ガソルが大黒柱を務めるチームで、ウィリアムズはターンオーバーも徐々に減らし、勝てるチームの司令塔になりつつあった。

 そして2005年8月に成立した5チームによる大型トレードでウィリアムズはマイアミ・ヒートへ移籍。飛ぶ鳥を落とす勢いでスターダムを駆け上がっていたドウェイン・ウェイド、リーグ最高級のセンターとしてペイントエリアを牛耳っていたシャキール・オニールとチームメイトに。

 新天地ヒートでフロアリーダーとなったウィリアムズは平均12.3得点、4.9アシストを記録。チームは序盤こそ苦戦したものの、スタン・バンガンディHCを解任してフロントのパット・ライリー自らが指揮官に復帰すると成績を徐々に挽回していく。

 イースタン・カンファレンス2位の52勝30敗(勝率63.4%)を残すと、プレーオフのカンファレンス決勝で難敵デトロイト・ピストンズを4勝2敗で下し、ダラス・マーベリックスとのNBAファイナルでは0勝2敗のスタートからウェイドが鬼神の如く超絶パフォーマンスを続けて4連勝。シリーズ4勝2敗で球団初優勝を果たした。

 その後、ウィリアムズは2008年8月にロサンゼルス・クリッパーズと契約を結ぶも家族の事情で現役引退。2009-10シーズンにオーランド・マジックで現役復帰し、NBAでは2010-11シーズンまでプレー。2017年には41歳で3人制プロバスケットボールリーグ"BIG 3"で復帰も、初戦でヒザを負傷してしまい、最終的にコートをあとにした。

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