NBA伝説の名選手:グラント・ヒル エリートから一転......天国と地獄を駆け抜けた「NBA界の貴公子」 (2ページ目)
【ケガと戦い脇役として存在感を発揮したキャリア後半】
サンズでは、ケガとの戦いでスタイルを変えながら復活を遂げた photo by Getty Images
2年目の1995-96シーズンから平均得点を20台に乗せ、1997-98まで3シーズン連続でリーグトップのトリプルダブル(1試合で得点などの3項目で2ケタをマークすること)数をマークするなど、オールスターのみならずオールNBAチームの常連にもなっていく。ピストンズもそんなヒルの成長に歩みを合わせるように勝ち星を伸ばし、1996年から2000年までの5年間で4度、プレーオフ進出を果たした。
だが、プレーオフではいずれも1回戦敗退。1999-2000シーズンにはヒルがキャリアハイの平均25.8得点に、6.6リバウンド、5.2アシスト、1.4スティールの記録を残すも肝心のプレーオフでは、第2戦で左足首を骨折し、マイアミ・ヒートに3連敗(当時の1回戦は3戦先勝)のスイープで散った。
2000年夏にFA(フリーエージェント)となったヒルは、サイン&トレードでオーランド・マジックへ移籍。のちに才能が開花するトレイシー・マグレディ(元マジックほか)との"スーパーデュオ"誕生に周囲の期待は高まるも、ヒルは前年のプレーオフで骨折していた左足首の状態が尾を引き、最初の3年間でわずか47試合(246試合中)しか出場できず。2003年には全身麻酔をしたあとに長時間に渡る左足の骨と左足首の手術を受けて2003-04シーズンを全休した。
マグレディ退団後の2004-05シーズン、ヒルは67試合の出場で平均19.7得点を残してオールスターへ返り咲いたが、翌2005-06シーズンは再びケガに見舞われて21試合の出場に終わり、2007年夏にFAでフェニックス・サンズへ移籍した。
この頃のヒルは、ケガの影響でピストンズ時代に見せていたキレはほぼ失われ、スーパースターからロールプレーヤーとなっていた。しかし、当時サンズでGM(ゼネラルマネージャー)を務めていたスティーブ・カー(現ウォリアーズHC)は「彼こそが我々の唯一のターゲットであり、獲得を最優先していた」と明かし、司令塔スティーブ・ナッシュの補佐役としてプレーメーキングの面で負担を軽減する役割を任された。
すると、その期待に応えるようにヒルは見事に息を吹き返す。サンズ在籍5シーズンのうち4シーズンで82試合中70試合以上に出場。3ポイント試投数を増やすなどプレースタイルも変化させた男は平均2ケタ得点を残しつつ、豊富な経験を駆使した老獪なディフェンダー役もこなした。
最終的にはロサンゼルス・クリッパーズで2012-13シーズンを過ごしたあと、2013年6月に現役引退を表明したが、ケガのためエリートコースから外れたとはいえ、サンズで脇役として復活し、40歳までコートに立ち続けた。
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