NBA伝説の名選手:グラント・ヒル エリートから一転......天国と地獄を駆け抜けた「NBA界の貴公子」
ヒルは生来の輝き、ケガからの復活と明暗織り交ぜたキャリアを歩んだ photo by Getty Images
NBAレジェンズ連載43:グラント・ヒル
プロバスケットボール最高峰のNBA史に名を刻んだ偉大な選手たち。その輝きは、時を超えても色褪せることはない。世界中の人々の記憶に残るケイジャーたちの軌跡を振り返る。
第43回は、スターとして、復活を遂げたロールプレーヤーとして存在感を示し40歳までプレーし続けたグラント・ヒルを紹介する。
【品行方正な振る舞いと万能プレーで1年目からスターダムに】
NBAでは、ゴールデンステイト・ウォリアーズのステフィン・カリーを筆頭に、元NBA選手を父に持つ "二世選手"たちが活躍している。
今回紹介するグラント・ヒルは、彼らとはまた違ったエリートの血統を継いだ "サラブレッド"と呼べる経歴の持ち主として知られている。
1972年10月5日、テキサス州ダラスで生誕したヒルは、父はプロフットボールリーグ(NFL)のランニングバックとしてプレーしたカルビン、母はウェルズリー女子大学時代にのちの大統領夫人となるヒラリー・クリントンのルームメイトだったジャネットというエリート夫婦を両親に持つ。
一人っ子のヒルは両親が忙しいなか、多くの時間をひとりで過ごした。1982年に「ベータマックス」(ビデオテープレコーダー)を買ってもらい、数えきれないほど多くのバスケットボールの試合映像を録画して気になった選手たちの動きやフットワーク、基礎などを学んでいった。
もちろん、自宅でバスケットボールの勉強をしていただけではない。
「ひたすら練習していた。何時間もね。だけど僕からすれば、それが楽しかったんだ。家でドリブルしていたし、歩道でドリブルを突いて店にも行ったし、キッチンで椅子に座っている時もしていた」とヒルは回想する。
ヒルはバージニア州レストンにあるサウス・レイクス高校を経て、名門デューク大学に進学。"コーチK"の異名をとった名将、マイク・シャシェフスキーHC(ヘッドコーチ)の下で4年間プレーし、平均14.9得点、6.0リバウンド、3.6アシスト、1.7スティールをマーク。NCAAトーナメント(全米大学選手権)では1991、1992年に2連覇、1994年にも決勝進出と申し分ない実績を残してきた。
1994年のドラフト1巡目3位でデトロイト・ピストンズから指名された203cm・102kgのスモールフォワードは、自由自在のボールハンドリングと抜群のクイックネスを駆使して積極果敢にペイントエリアへ侵入し、パワフルなダンクや華麗なアシストなどで会場を魅了した。
品行方正な振る舞いと優雅で豪快なプレーの数々で好感度も高く、1993年秋に一度目の引退を表明したマイケル・ジョーダン(元シカゴ・ブルズほか)の"後継者候補"になり、新人ながら1995年のオールスターファン投票ではリーグトップの128万9585票を獲得した。
チームはイースタン・カンファレンス12位(28勝54敗/勝率.341)と低迷したが、ヒルはダラス・マーベリックスのジェイソン・キッドとともに新人王に選出。1995年3月にジョーダンが現役復帰するも、ヒルは翌年オールスターファン投票でもリーグ最多135万8004票を集めて、リーグ屈指の人気選手としての地位を確立した。
ピストンズ時代は、ルーキーイヤーからスターダムに立った photo by Getty Images
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著者プロフィール
秋山裕之 (あきやま・ひろゆき)
フリーランスライター。東京都出身。NBA好きが高じて飲食業界から出版業界へ転職。その後バスケットボール雑誌の編集を経てフリーランスに転身し、現在は主にNBAのライターとして『バスケットボールキング』、『THE DIGEST』、『ダンクシュート』、『月刊バスケットボール』などへ寄稿している。