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【部活やろうぜ!】Bリーグ・篠山竜青が強豪・北陸高校に進学を決めた理由「はて? 福井ってどこ?」

  • 牧野 豊●取材・文 text by Makino Yutaka

Bリーグの歴史に残る存在感を発揮し続ける篠山竜青 photo by B.LEAGUEBリーグの歴史に残る存在感を発揮し続ける篠山竜青 photo by B.LEAGUE

学校での部活を取り巻く環境が変化し、部員数減少も課題と言われる現在の日本社会。それでも、さまざま部活動の楽しさや面白さは今も昔も変わらない。この連載では、学生時代に部活に打ち込んだトップアスリートや著名人に、部活の思い出、部活を通して得たこと、そして、いまに生きていることを聞く──。部活やろうぜ!

連載:「部活やろうぜ!」
バスケ・篠山竜青インタビュー:1回目(全3回)

【将来のトップリーグを目指してとにかく強いチームへ】

 川崎ブレイブサンダースのポイントガードとして、Bリーグの前身JBL・NBL時代から長きにわたり活躍し続ける篠山竜青。Bリーグオールスターではお祭り男の本領を発揮し、日本代表では主将として東京五輪出場権獲得に大きく貢献するなど、名実ともに日本男子バスケットボールの歴史を代表する選手だ。トップリーグの選手として15年目を迎える来季も川崎で迎えることが発表された。

 その篠山が自らの原点と振り返るのが、北陸高校(福井)時代である。同校の長い歴史においては、佐古賢一、五十嵐圭(現・新潟アルビレックスBB)、石崎巧、西村文男(現・千葉ジェッツ)ら日本代表でも活躍したポイントガードを多数輩出。篠山もその系譜を継ぐことになるが、まずは北陸高校に進学を決めた経緯から聞いてみた。

――篠山選手は中学時代に全国中学校大会への出場はしていませんが、横浜市立旭中学では神奈川県内で知られる選手になっていました。そのなかで、福井県にある全国トップクラスの北陸高校に進学した経緯を教えてください。

篠山 神奈川県の高校では当時、湘南工大附、桐光学園、桐蔭学園など、大会ごとに代表校が変わるような激戦の状況でした。ただ、全国レベルではそこまで上位に行くチームはなかったので、あくまで感覚ですけど、県内の学校なら1年生から試合に出られるという甘い考えを持っていました。

 僕自身は中学時代に当時のトップリーグだったJBL(Bリーグの前身)を目標にしていたので、関東の大学1部校に行かなければいけない、そのためには高校でも全国の強豪校へとうっすらと考えていました。うちはきょうだい(8歳上の兄、5歳上の姉)もバスケットをやっていた影響もあり、母からも「JBLを目指すなら県外の高校に行きなさい」と言われるくらいでした。

 ただ、能代工業(秋田)、福岡大大濠(福岡)、洛南(京都)など、全国トップレベルの高校には自分と同じポジションの同級生が進学するという情報が耳に入ってきました。さて、どうしたものかと思っていたところに、少し複雑なんですけど、知り合いの知り合いの方が僕のことを北陸の津田(洋道)先生に勧めてくださって、話をいただいたので、ふたつ返事で決めました。

――神奈川県から福井県に行くことに、抵抗はなかったのですか。

篠山 それはなかったですね。ただ、行くって返事をしたあとに、冷静になってみると、はて? 福井ってどこにあるのか? みたいな(笑)。とにかく強い高校に行きたかったので、勢いでしたよね。バスケ専門誌で情報を得るのは好きだったので、みんな坊主で黄色のユニホームの強いチームであることは、もちろん知っていました。『SLAM DUNK』のなかの堀高校のモデルは間違いなく北陸高校だろう、みたいな感じでしたね。

――2000年代前半の北陸高校は全国大会トップレベルの強豪校ですが、実際に行った時の第一印象は覚えていますか。

篠山 とにかくデカかったんです、みんなが。北陸高は練習の最初に3列に並んでランニングするんですけど、背の高い順に前から並んで走るんです。中国人の留学生も含めて3人、いや6人ぐらいはもう2m近い選手で。2m近い人間が動いているのを間近で見る機会なんてそれまでなかったので、最初の練習見学の時に初めて目視したというか。このなかでやるのかっていう感覚の衝撃は、大きかったです。

――えらいところに来てしまったな、と。

篠山 というより、ただ、やるしかない、という覚悟は決まっていました。中学の担任の先生は「県外に挑戦して駄目だったら帰ってくればいいのよ」みたいに優しい言葉をかけてくれましたけど、母親からは「途中で帰ってきても、家の鍵、開けないから」と言われていたので(笑)、今さら不安になっても仕方ないという感じでした。

――今季もBリーグでプレーしている同期の多嶋朝飛選手(仙台89ERS)も一緒に入学しています。

篠山 僕らの代は全中に出ている選手がひとりもいなかったんです。2000年代前半の北陸は全国大会でベスト4が当たり前だったので、本当に頑張らなきゃいけなかった。ただ逆に言うと、ここで頑張れば、(JBLへの)チャンスがあるという感覚でいました。

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著者プロフィール

  • 牧野 豊

    牧野 豊 (まきの・ゆたか)

    1970年、東京・神田生まれ。上智大卒業後、ベースボール・マガジン社に入社。複数の専門誌に携わった後、「Jr.バスケットボール・マガジン」「スイミング・マガジン」「陸上競技マガジン」等5誌の編集長を歴任。NFLスーパーボウル、NBAファイナル、アジア大会、各競技の世界選手権のほか、2012年ロンドン、21年東京と夏季五輪2大会を現地取材。229月に退社し、現在はフリーランスのスポーツ専門編集者&ライターとして活動中。

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