ひとり親家庭で育ち、バスケ、勉強に全力を注いで日本一に FE名古屋・内尾聡理が紡いだ家族の絆と茨の道
福岡第一で黄金世代の一員として活躍した、内尾聡理(現ファイティングイーグルス名古屋)
内尾聡理 ストーリー 前編
【ひとり親家庭に育つ】
児童養護施設への訪問や、メーカーとのコラボ商品の売り上げをひとり親家庭の子どもたちの支援に充てる活動などを積極的に行なうルーキー選手がいる。それがB1リーグ、ファイティングイーグルス名古屋所属の内尾聡理(うちお・そうり)だ。
彼は2024年11月に社会貢献活動(子ども支援)プロジェクト『S.U Future』を立ち上げ、試合や練習の合間を縫って、さまざまな活動を行なっている。プロ入り1年目の選手がいったいなぜ? その背景には、彼の育った家庭環境があった。
内尾が生まれたのは福岡県北九州市。姉の聡菜(あきな/富士通レッドウェーブ)とのふたり姉弟だったが、物心つく頃には父親は家におらず、母親と3人で暮らしていた。いわゆるひとり親家庭だ。母親は保育士の仕事だけでは生計を立てられず、テレホンアポインターなども掛け持ちしていたこともあり、一般的な家庭に比べて親との接点は少なかった。
「幼い頃は友だちの家に遊びに行っても、『お家の人が帰ってくるから』と言われると、自分も家に帰らないといけなくて、そこからひとりで家にいることが多かったです。それがすごく寂しかったなという記憶があります」
そんな内尾の寂しい気持ちを和らげてくれたのがバスケットボールだった。「姉が小4くらいからバスケを始めた」ことで、その送り迎えについていくようになった内尾は、そこでクラブの監督から熱心に誘われた。そして小学1年の終わり頃から小倉ミニバスケットボールクラブに入団。「バスケットボールというスポーツに出会い、僕の人生は180度変わった」というように、内尾はすぐに夢中になった。バスケをやっているときは本当に楽しかった。ただ、それでも環境が大きく変わるわけではないため、家に帰れば家事を行なうこともあった。
「母は朝早くに家を出て、夜遅くに帰ってきたりしていたので、苦労しているのは感じていました。だから僕がご飯を炊いたり、洗濯をしたり、姉と共に最低限のことはやっていました。僕のなかではそれが当たり前の生活でした」
小学生時代の内尾。大好きだったバスケに打ち込んだ 姉とは4学年違うこともあって練習時間も別々。姉が練習をしている間に母親が仕事に行くこともあり、ひとりで留守番することも多かった。そんな生活だったため、「家族全員で何かをすることは少なかったし、そもそも3人が揃うことも少なかった」と振り返る。
他の家に比べて生活は決して楽ではないと感じていた内尾は、バスケットボールシューズがボロボロになっても「母親には言いづらかった」という。だから、穴が開くまで履きこんだ。
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