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ひとり親家庭で育ち、バスケ、勉強に全力を注いで日本一に FE名古屋・内尾聡理が紡いだ家族の絆と茨の道 (2ページ目)

  • text by Sportiva

【中学から親元を離れる】

 身長が高く、バスケットボールで才能を発揮し始めていた内尾は、縁があって熊本県の強豪中学校への入学の話が持ち上がった。そうなると親元を離れての生活となる。もともと人見知りの性格だったが、大好きなバスケへの情熱から内尾は熊本行きを決断した。この3年間で内尾はめきめき頭角を表し、チームの主軸となって活躍。中学校で全国ベスト8を経験した。さらにU-16日本代表チームにも招集されるまでになった。

母親と記念撮影した中学での卒業式。よく見るとシューズはボロボロ母親と記念撮影した中学での卒業式。よく見るとシューズはボロボロ 将来を嘱望される存在となった内尾に、全国トップレベルの高校から声がかかる。地元の福岡第一だった。

「僕が入る前年に、インターハイとウインターカップを連覇していて、すごく強い時期でした。僕も中学のときに全国大会に出たので、より高いレベルでやりたいと思っていたところにお声がけいただいて、推薦で入ることができました」

 スポーツ推薦のためバスケ中心の生活になることもあり、内尾はここでも寮生活を送ることになる。母親も「聡理の意見を尊重してあげたい」とこの決断に快く賛成した。

 そこからは「休みもほとんどなかった」というほどのバスケ漬けの日々。「他の高校を見ていないので比べようがないんですが、感覚的には全国で一番練習をしていたんじゃないかなと思う」と当時を振り返る。

 そんななかでも内尾は勉強にも真面目に取り組んだ。スポーツ推薦の場合、部活動単位でクラス分けされ、通常はバスケ部だけが集まるクラスとなる。しかし学業成績のいい生徒は引き上げられる仕組みで、内尾は最終的に大学受験を目指すクラスへ振り分けられた。

「中学時代も成績は悪くはなくて、勉強をするにこしたことはないと思っていましたし、同じクラスの他の生徒に迷惑をかけるわけにもいかないので、ちゃんと点数を取れるように頑張っていました」

 勉強にも部活にも熱心に取り組んだ内尾。ただ、レギュラーになるのは、かなりハードルが高かった。

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