検索

NBA伝説の名選手:デリック・ローズ 史上最年少MVPの栄光と度重なるケガとの闘いで人々の心を揺さぶった「シカゴの英雄」

  • 秋山裕之●文 text by Akiyama Hiroyuki

激動のキャリアを歩むなか、多くの人々の心をつかんだローズ photo by Getty Images激動のキャリアを歩むなか、多くの人々の心をつかんだローズ photo by Getty Images

NBAレジェンズ連載35:デリック・ローズ

プロバスケットボール最高峰のNBA史に名を刻んだ偉大な選手たち。その輝きは、時を超えても色褪せることはない。世界中の人々の記憶に残るケイジャーたちの軌跡を振り返る。

第35回は、史上最年少MVPに輝いた栄光や大ケガを乗り越え続けてきた不屈の闘志で人々を魅了し続けたデリック・ローズを紹介する。

過去の連載一覧はコチラ〉〉〉

【プロ3年目で史上最年少MVPに】

 シカゴ・ブルズと言えば、1990年代に2度の3連覇へ導いたマイケル・ジョーダンが真っ先に浮かぶだろう。10度の得点王と6度のファイナルMVPはどちらもNBA史上最多であり、「バスケットボールの神様」と評されている世界的な知名度を誇るスーパースターだ。

 そのジョーダン退団後のブルズの歴史において、最も輝いたと言っても過言ではない男がデリック・ローズである。

 1988年10月4日にイリノイ州シカゴで誕生したローズは、母ブレンダの下、3人の兄(ドウェイン、レジー、アラン)からバスケットボールを学び、NBA最高級の選手への階段を上り始める。

「その日やることを終えても、僕たち家族は生き抜くために努力しないといけなかった。毎日やることは朝起きてドラッグの売買にかかわらないように、一生懸命頑張る何かを見つけることだった」

 ローズが育ったイングルウッドの南部は、その近辺では最も危険な地域で、家族は経済的にも苦しい状況にあった。そうした環境で、ローズはバスケットボールの腕を磨き、お金を稼ぐためにマレー・パーク(近隣のストリートバスケット場)でもプレーした。

 その後、シミオン・キャリア・アカデミー高校へ進学し、2年連続で州タイトルを獲得。4年次には平均25.5得点を残す有望株となり、メンフィス大学1年次には平均14.9得点、4.5リバウンド、4.7アシストをマークし、2008年のNBAドラフトへアーリーエントリー。地元チームのブルズから全体1位指名されてNBA入りを果たした。

 ローズは先発ポイントガード(PG)として2008-09シーズンに平均16.8得点、6.3アシストを残して新人王を受賞。2009年のプレーオフ1回戦では前年王者ボストン・セルティックス相手に初戦で36得点の鮮烈なポストシーズンデビューを飾り、最終第7戦までもつれる激闘を見せた。

 2年目の2009-10シーズンには平均20.8得点、6.0アシストを残してブルズのトップスコアラーへ躍り出ると、オールスターにも初選出。2年連続でプレーオフへ出場し、そして3年目の2010-11シーズンに飛躍を遂げる。

 ブルズはこのシーズンからトム・シボドーHC(ヘッドコーチ/現ニューヨーク・ニックスHC)が指揮官に就任。強固な守備を形成し、チームはリーグベストの62勝20敗(勝率75.6%)をマークするなか、ローズはその牽引車として平均25.0得点、7.7アシストの活躍。NBA史上最年少の22歳でMVPに輝いた。

1 / 3

著者プロフィール

  • 秋山裕之

    秋山裕之 (あきやま・ひろゆき)

    フリーランスライター。東京都出身。NBA好きが高じて飲食業界から出版業界へ転職。その後バスケットボール雑誌の編集を経てフリーランスに転身し、現在は主にNBAのライターとして『バスケットボールキング』、『THE DIGEST』、『ダンクシュート』、『月刊バスケットボール』などへ寄稿している。

厳選ピックアップ

キーワード

このページのトップに戻る