堂本光一「アイルトン・セナは僕のアイドル」伝説のレースに大興奮した少年時代を語る (4ページ目)
【近年のF1の「いきすぎ」を疑問視】
1970年代のジェームス・ハントとニキ・ラウダのライバル関係を題材にした映画『ラッシュ/プライドと友情』(※日本では2014年に公開)で、僕は日本語版のハント役の声優を務めさせていただきました。映画では「毎年25人のドライバーのうち2人が死ぬ」と紹介されていますが、この頃のF1は死と隣り合わせの時代でした。
セナが1994年にサンマリノGPで死亡したあと、F1のマシンやサーキットの安全性は大きく向上しました。先人たちの尊い犠牲があるから今があります。今後も安全性の追求を怠ってはいけないと理解していますが、最近のF1はあらゆる危険を排除するという方向にいきすぎているような印象を受けます。
ドライバーが世界最速のマシンに乗り込み、リスクを恐れずに強靭な体力と高い技術でスピードの限界に挑む姿に観客はワクワクします。だからこそドライバーは、ヒーローであり、みんなが憧れる存在だと思います。やりすぎはF1の魅力を削いでしまう。何事もバランスだと感じています。
大スターだったセナが亡くなったあと、日本ではF1から離れていった人が多かったと思います。僕もサンマリノでの事故が起こるまでは、単純に大好きなセナが勝つことを応援していただけだったので、セナが亡くなったあとはどうやってF1を楽しめばいいのかと一時、途方にくれました。
でも、その後もF1を見ているうちに、ドライバーやチームの歴史、マシンのテクノロジー、戦術など、いろんなことに興味が広がっていきました。F1というスポーツはチームやドライバー、マシンなどの情報や知識を知れば知るほど、より深く楽しめます。
最近、F1を好きになった人のなかには、セナ没後30 年ということで初めてアイルトン・セナの名前を聞いたという人がいると思います。過去にセナという偉大なチャンピオンがいたことをもちろん知ってほしいですが、セナをきっかけにして、マクラーレンやホンダの歴史、プロストとのライバル関係などにも興味を持ってくれたらうれしいですね。
"セナプロ"の前にはラウダとハント、あとにはシューマッハとミカ・ハッキネン、そういうライバル関係が連綿と受け継がれている歴史を知ると、きっとF1をもっと楽しめるはず。セナ没後30年というメモリアルが、F1ファンが新たに増えるきっかけになってくれればいいな、と僕は思っています。
【プロフィール】
堂本光一 どうもと・こういち
1979年生まれ、兵庫県出身。日本人初のフルタイムF1ドライバー、中嶋悟氏がデビューした1987年頃からF1のファンに。2023年12月に「KinKi Kids」17枚目のアルバム『P album』、47枚目のシングル『シュレーディンガー』をリリース。2024年でラストとなる主演ミュージカル『Endless SHOCK』が4月と5月に東京・帝国劇場、7月と9月に大阪・梅田芸術劇場メインホール、9月に福岡・博多座、11月に帝国劇場にて上演決定。
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著者プロフィール
川原田 剛 (かわらだ・つよし)
1991年からF1専門誌で編集者として働き始め、その後フリーランスのライターとして独立。一般誌やスポーツ専門誌にモータースポーツの記事を執筆。現在は『週刊プレイボーイ』で連載「堂本光一 コンマ1秒の恍惚」を担当。スポーツ総合雑誌『webスポルティーバ』をはじめ、さまざまな媒体でスポーツやエンターテイメントの世界で活躍する人物のインタビュー記事を手がけている。
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