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堂本光一「アイルトン・セナは僕のアイドル」伝説のレースに大興奮した少年時代を語る (3ページ目)

  • 川原田 剛●取材・文 text by Kawarada Tsuyoshi

【記憶に刻まれている伝説の名勝負】

 セナの名勝負はいろいろありますが、1993年のブラジルGPは印象に残っているレースのひとつです。予選で当時ウイリアムズのアラン・プロストに2秒もの大差をつけられていましたが、レースでは突然の大雨となり、トップを走行していたプロストを始め、クラッシュが続出します。

 そんななか、セナは真っ先にレインタイヤに交換し、ポジションを上げていきます。その後、雨が上がってレースが再開すると、今度はすぐにドライタイヤに交換して、プロストに代わって首位を走っていたウイリアムズのチームメイトであるデーモン・ヒルをオーバーテイク。そのまま母国GP制覇を達成します。

 ドライではまともに勝負できなかったウイリアムズを相手に雨と絶妙なタイヤ交換のタイミングで優勝をもぎとった。今でもすごいレースだったという記憶があります。

 もうひとつはセナとナイジェル・マンセルが歴史に残る死闘を繰り広げた1992年のモナコGPです。当時、僕は12〜13歳。芸能の仕事を始めたばかりか始める直前かというところだったと思いますが、子ども心にとてつもなく燃えましたね。

「モナコマイスター」と呼ばれ、モンテカルロ市街地コースで無類の強さを発揮したセナ。1992年のモナコGPではマンセルと伝説的なバトルを繰り広げた photo by Sakurai Atsuo「モナコマイスター」と呼ばれ、モンテカルロ市街地コースで無類の強さを発揮したセナ。1992年のモナコGPではマンセルと伝説的なバトルを繰り広げた photo by Sakurai Atsuoこの記事に関連する写真を見る

 ただ今にして思えば、マンセルの乗るウイリアムズ・ルノーのマシンがセナのマクラーレン・ホンダよりも圧倒的に速かったとはいえ、コース幅の狭い市街地コースのモナコでは抜けないんですよね。

 今となっては、しかるべきレースだったと思いますが、マンセルがガードレールに囲まれたモナコでマシンを左右にゆすりながら隙をうかがい、セナはミスのない走りでトップを死守していく。2台の超接近戦のバトルには本当に興奮しました。

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