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【クラブワールドカップ】本田圭佑時代の混迷から頂点へ ボタフォゴはいかに復活したか

  • リカルド・セティオン●文 text by Ricardo Setyon
  • 利根川晶子●翻訳 translation by Tonegawa Akiko

 クラブワールドカップでブラジルのボタフォゴが決勝トーナメントに駒を進めた。

 本田圭佑がプレーしていた頃のボタフォゴを覚えている方にとっては「あれ?」と思う出来事かもしれない。何せあの頃のボタフォゴは、選手もいなければ金もない、青息吐息のチームだった。いったいこの数年間にボタフォゴに何が起こったのか? 彼らはいかに南米を代表するクラブに返り咲いたのか――。

クラブワールドカップで決勝トーナメント進出を決めたボタフォゴ photo by AP/AFLOクラブワールドカップで決勝トーナメント進出を決めたボタフォゴ photo by AP/AFLOこの記事に関連する写真を見る ボタフォゴはブラジルの名門だ。かつてガリンシャ、ニルトン・サントス、マリオ・ザガロといった偉大なブラジル代表の選手たちを擁し、1950年代後半から10年以上にわたり黄金時代を築いた。

 しかしその後、苦境に陥る。ボタフォゴのサポーターたちは終わりの見えない悪夢のなかに落ち込んでしまったようだった。莫大な債務、毎月のように変わる経営陣、過去の栄光を忘れたかのようなプレー......。

 クラブが底辺に到達したのは2020年だった。過去20年で3度目のセリエB(2部)降格が迫り、事態は深刻だった。チームはミスを重ね、間違った選択を繰り返し、魂を失い、サポーターたちはもはや何も信じなくなった。

 この降格を前に、ボタフォゴはあらゆる手を尽くし窮地を脱しようとした。その最大の策が、日本代表として活躍し、ミランでもプレーした経験のある本田圭佑の獲得だった。

 方向性を見失ったチームを率いるリーダーとなるべく、彼には大きな期待が寄せられた。リオデジャネイロに到着した本田はスターとして迎えられた。SNSは喜びのメッセージであふれ、サポーターは空港での歓迎式典に歓喜した。黒と白のユニフォームを着た彼は、新たな時代の始まりだと誰もが思った。

 本田効果はピッチの外でも期待されていた。ボタフォゴは慢性的な資金難に悩まされていたが、それでもボクラブ史上最高額の年俸を彼に提示したのは、それ以上の収入を期待していたからだ。彼をマーケティングの柱とし、アジアでの知名度向上やユニフォームの販売を目論んだ。

 しかし、それはうまくいかなかった。ボタフォゴの病は思った以上に重く、結局、本田は何もできなかった。出場は27試合、3得点しか挙げられず、フィジカルコンディションに問題を抱え、ブラジルのプロサッカーのリズムに完全に適応できなかった。また、ピッチ外でもチームに溶け込むことができず、最終的に、彼は誰にも別れを告げず、逃げるようにリオを去った。

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